NHK・FM「カフェテラスのふたり」は今週と来週、寺山修司の童話集「時には母のない子のように」と「はだしの恋唄(こいうた)」から十四話を放送する。
この番組を聞くと、「音楽」というものが、場合によっては、どれほど言葉(文字)の世界を膨らますことができるか、ということを知ってビックリす る。例えば「霧に全部話した」はこんな風に始まる(8日放送)。「目ざめたら霧が深かった。葉子はベッドにすわって窓から街を見た。いつも出かけて行く風 船売りや牛乳屋の少年が見下せるのだったが、今朝は霧でなにも見えない……」。言葉のバックに、フォーレのチェロソナタが流れている。「街の大時計の針が 消えているのだ。……この霧の中では思い出を失(な)くさないものは鳥になってしまう」。チェロの低い響きが、言葉の間から渦を巻いて流れ出てくる。それ は言葉とともにあたりを包み、深い霧のようになって、部屋の中にたちこめる。
寺山の童話は、詩的な幻想性に満ちているのだが、妙に生々しいところがある。そんな寺山の世界には「フォーレとかラベル、プーランクといった、フラ ンス近代派の音楽が最も重なるような気がした。その音楽は抽象的であり、変幻自在で、また絵画的でもある」と、多田和弘ディレクター。
:(10回・14話)