コラボレーション 『ゆく夏の調べ』』 (2010/05/29)
個々の作品についてあおせの思いますことなど
コラボレーション 「ゆく夏の調べ」の感想らしきものをくたくたと・・・
感想を書くのは難しい、つまりは、感動というものを文章化するのは難しいということなのだけれど。
コラボレーションの後、神父さんと少しお話しさせていただいた。
前日の朗読会、聖母カトリック平教会の神父さんである。会話の中で中尾幸世さんを初めて知ったのは・・・、どういうところがいいの・・・、という難問をいただいてしまい、聴かないでくれよ、そういう難しいことはと思いつつ、その問いに対して答えて、
・・・答えるほどに、自分の返答が陳腐なものに化していってしまう。それが言葉を発するごとに強く意識され、ついには言葉では表現できません、と答えてしまった。
どうやら、その神父さんは私の言葉では表現できないという、その言葉を待っていたらしく・・・
柔らかく頷かれたわけで・・・、私自身もなんだか半面嬉しいような苦笑いを浮かべていた。
さて、これで感想を終えてしまったのでは、ファンとしての面目が立ちません。
つたない文章ながらも、さも、わかったような顔をし、なんとか感動を伝えなければ・・・
一時期、朗読会の副題に「あやなすひびき」と付けられていたことがあります。うまい題だなと思っていました。
といいますのも中尾幸世さんの朗読は、ある種の音楽、まさしく「ひびき」を読むものだと思うからです。
「あ」なら「あ」という音が持つ固有の響き、「い」なら「い」という音が持つ固有の響きを夾雑物なく響かせる、これが中尾幸世さんの朗読の特徴の一つではないかなと思うのです。
決して、音程を付けて歌うのではない、でも、響きが連なり変化していく様は、人の声が生み出す歌ではない音楽ではないかと思うのです。
それは語りかける朗読者の思いを言葉の意味として伝えようとするだけではなく、連綿と続く響きとして、その言葉の持つ「思い」を伝えようとしているのではないかと思うのです。
つまり朗読を通して中尾幸世さんが伝えるメッセージ、あるいは感動と言い換えてもいいと思うのだけれど、それを言葉として表現し、伝えようとするのではなく、音の響きとして伝えようとしているのではないか、
だから、そのメッセージを受け取る側は頭でその言葉を解釈し、うちに感動を生み出すのではなく、言葉を純粋に音の響きとして思考を経由せず、そのまま、体全体で受け入れることができるのではないのかなと思うのです。
表現を変えれば朗読という言葉に誘引され、聴く者の内側に感動が生まれるというよりも、音のひびきとして、中尾幸世さんの抱く感動がそのまま体を、五官を通して伝わってくるのではないかなと思うのです。
そして今回もそうだけれど、中尾幸世さんは朗読会と表現せず、コラボレーションと表現していました。
ピアノにハーモニカ、その他、こまごまとした楽器群。
幾種類もの響きがお互いに協調しあう、互いに個性を主張しながらも、同時に互いがその存在を認めあっている。強いて表現するなら「共生」という言葉が適切かも知れません。でも、これは決して、お互いが助け合っているのでもなければ、補完し合っているのでもありません、それぞれがそれぞれとして個性を主張しながら、同時にうまく一つになっている状態です。補完、つまりはお互い足りない部分を補い合うようでは、感動をストレートに送り出すほどの「ひびき」は生まれないと思うのです。
〜俳句と音楽〜Haiku Pieceより
俳句をあのように表現するのは驚きました。どう驚いたのか、うまく表現できませんが、ふと、何かに似ていると思い出したのがししおどしです。和風庭園などでよくあるやつ。竹で作ったシーソーのようなもので、水力でかーんと突き抜けるような響きをもたらすやつ。まさしくそれに似ています。
ピアノが静寂を表現する。決して、ピアニシモではないのだけれど、どちらかといえば激しいくらいなのですが、不思議に静寂を感じるピアノのひびきです。この静寂を一瞬、突き抜けるように中尾幸世さんの響きが生まれる。そして、この響きは刹那、静寂な空間に波紋を生み、そして消えていく。
刹那に生まれ消えていく、鋭さがありました。
「ぼく逃げちゃうよ」「小さな島」
これは一片のオーディオ・ドラマを聴いているようでした。以前、中尾幸世さんが出演したオーディオ・ドラマ「赤糸で縫い綴じられた物語」、オーディオ・ドラマファンで知らない者はまずいないという秀作だと思っているのは、多分、私以外にも多いでしょうけど、この朗読は、そのまま、「赤糸・・・」のようなオーディオ・ドラマとしても、即、成り立つのじゃないかと思っておりました。
木の枝を揺らして風の吹くさまを表現し、波の音は、あれはなんていう楽器なんでしょう、大きな竹筒に多分、小石か小豆辺りが入っているのでしょうけど、揺らすと波の音がする楽器、私は楽器の知識が寂しいので、名前は知りませんが、効果音を生み出す小さな楽器達。
観ているととても楽しげで、私自身も楽器の一つも奏でることが出来れば参加したいなぁと観ておりました。
そう、これは本当に中尾幸世さんや演者が楽しそうで、それがとてもうらやましく素敵でした。
(ただ「ぼく逃げちゃうよ」の母親の愛情にちょっとびびっていたけれど・・・、ま、それもよしということで)
中尾幸世さんの朗読を、さて、もうどれほど聴いてきたのか、
いつか、中尾幸世さんの朗読は、一見癒しっぽいのだけれど、いえいえ、実際はかなり攻撃的な朗読だと思うんですよという命題でつらつらと書くか議論してみたい・・・、いえ、議論するほどの思考力は私にはないけれど・・・