◆オーディオ・ドラマでの幸世的空間との出会い◆

私が最初に中尾さんの世界に触れた頃の記憶です。

高校生の一時期、学校に行かず家に閉じこもっていた時間がありました。
自分の部屋にはテレビはなく、いつもラジオを流していました。

最初に中尾さんに出会ったのが、「カフェテラスの二人」での、寺山修司の物語。
「赤糸で縫い閉じられた物語」
語り手の柴田p彦と中尾幸世とで作りだされる不思議な世界。
初めは何気なく聴いていました。そして寺山修司の世界にまずアンテナが動き、
テープに録音しはじめ、昼も繰り返し聴いているうちに物語以外のものに惹きつけら
れていきました。

中尾幸世の声。

かすかで、ささやくような語り方。抑揚の少ない、とつとつとした口調。
決して前面に出る声ではないのに。達者な演技というわけでもないのに。
その声は、静かに、淡々と、私の中にすぅっと染み込んできました。

何か内に強いものを秘めた、少女のような、成熟した女性のような。
この世の全てを知っているかのような、不思議なほど透明な声。
彼女の語る場面だけ、ひとつの別世界が浮かび上がる様に感じました。
「ひろば・まぼろし」「天の記憶」「DQ」「愛と幻想の小さな物語たち」・・・

「この語りはこの人の素のままに聞こえるけれど、この素の世界は尋常なものじゃな
い。」と思いました。

この人は何者なんだろう。そしてこの感覚は一体何なんだろう。

この声の創り出す空気の不思議さ。
「心地の良い声」などと、言葉にすると恐ろしく陳腐になってしまうこの感覚につい
て、ずいぶんと考えたものでした。そんな答えなぞでるはずもなく、ただその声に魅
了されていきました。

回数を重ねて聴くうちに、「音楽のように」私はその声を聴いていました。
彼女のオーディオ・ドラマを流しながら絵を描いたり、
眠るときは、テープをエンドレスにして子守唄のように聴きながら眠りました。
まさにその声は「子守唄」でした。
自分と、かすかなその声だけの、閉じた時間。
その時期、彼女の声は完全に生活の一部でした。

未熟な感性にダイレクトに入ってきた彼女が醸し出す世界を、ある時期、私は胎児の
ように丸まって、ただただ漂っていました。

今、CDショップではヒーリングミュージックがものすごい市場を占めています。
振り返ると当時の私は、中尾さんの声に、「癒し」に限りなく近い、「救い」(といっ
てもいいくらい)を求め、それを得ていたように思います。

もう胎児どころではいられなくなり、否応なしに年齢を重ねた今に至っては、もうゆっ
くりとあの声だけの響きに体ごと預けられる空間と時間が少なくなっていきます。
ただ、ふとぽっかり時間の空いたとき、あの頃の、中尾幸世の声だけに満ちた時間を、
時々懐かしく思い出すのです。


微音空間を知ってから、声以外の中尾幸世に関する多くの情報を得られるようになり、
当時とはまた違った幸福な時間を過ごせる機会が増えたわけですが、現在の中尾さん
の、朗読という生の声を伝える仕事を選択し、携わっておられる事に、オーディオ世
代の私は深く深く納得している次第です。




拙い文章を読んでいただき、ありがとうございました。