『天の記憶』に寄せて
『私』の思考は鉱山の地底・宇宙・地上の出来事・過去の人物の間を逍遥する。
東京(大学の中であろうか?)で働いていても、その生活感はあまり無いように見える。
発せられる言葉も、何所か遠くから・海底あるいは宇宙(そら)から聞こえてくるよう。
『部屋の星座』…『私』の部屋に掛かっている絵。
その絵を観たとき、ただ傾いているだけのように見えたその絵の女性の身体は、
『私』の語りを聞いていると無重力の部屋に居て今にも浮き上がってきそうにも見えてくる。
周りに漂っている紙風船のように…
『私』が夜空を見上げている時に出会う青年・彼が「収集」した日記は、
『私』が何かを待っているように時空をも越えて誰かに読まれるのを
長い間待っていたのかも知れないとふと思う。
(「ジャック・フィニィ」の「Love
Letter」のように)
金星食の時、三日月の下端に寄り添っていた星は写真でみると
月がこぼした涙のようにも見えたことを思い出す。
チェレンコフ光の青いひかりは
「ジョバンニ」と「カムパネルラ」が銀河の中へ手を入れた時に発した
ひかりのような色だろうか?
2001年の11月獅子座の方から飛び込んで来た塵が放った青緑色のようだろうか?
わたしたちの細胞の一つ一つが宇宙そのものであるなら、魂は…?
目に見えない宇宙線と共に地球の大気を通り抜け、その身体に細胞に降り注ぐのだろうか…
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『天の記憶』を聴いていて、断片的にこのようなことを考えていました。
妄想と言いましょうか…
この物語を聴いていると「森雅之」さんの漫画が読みたくなり
『耳の散歩』を読み返してしまいました。
前に石膏を解いたことがありますが、慣れないと難しい。
水が多ければ流れてしまい、少なければすぐに固まって削れなくなる。
犬の足跡に流して型をとるなら簡単で面白そうです。
金星食の写真は今は無き「スカイウォッチャー」誌で見たものです。実物も良かったです。