微音空間FAQ
2002年11月10日改定 
 

はじめに

Q1:このFAQはどのようにまとめられたのですか。 
A:双調さん主催の「微音空間」における「微音作成日誌」で提出された問とその答をまとめたものです。期間は2001年1月16日〜2002年11月10日の分です。 

Q2:このFAQに対する意見・訂正、新しいQ&Aの追加などは、どうしたらいいのでしょうか。 
A:「微音作成日誌」に書きこんでください。次の機会に改定します。 
 

中尾幸世

Q1:幸世的であることとは。 
A:大きく波打つこともないのに止めどもなく打ち寄せてはそっと引いていく幸世的微音。ものすごいエネルギーで私達を歓喜させる訳でもないのにいつの間にか癒されていくような幸世的空間。時代の中でいろんな表現が試みられてきたけれど、今自分に呟きかけるなら、それはある種のヒーリングヴォイス。優しい地球の囁きに耳を傾ける時。幸世的であることそれは、木々のざわめきに、水の音に、絶え間なく生れ落ちては還っていく生命に、耳を傾けること。(2001年1月22日、伽藤田) 

Q2:中尾さんはプラネタリウムの仕事もされているそうですが、どんな仕事ですか。 
A:土曜日(2001年5月19日)にスタードームに行ってきましたのでご報告します。まず、掲示板では生出演すると思ってらっしゃる方もいらっしゃるようですが、生ではありませんでした。基本的には音声ドラマで、それにプラネタリウムの全頭上型のスクリーンを有効に活用して物語にちなんだ映像が映し出されます。5〜6人の声優さんが出演されてましたが、中尾さんと男性の掛け合いの部分はかなり「カフェテラス」を意識したつくりのように思いました。「カフェテラス」を気に入ってのキャスティングかと勝手に想像してしまいました。10数年ぶりに聴く「現在の中尾さん」の声は相変わらず健在で、今回は子供向けという作品の性質上か、以前(といっても僕は「カフェテラス」以外は聴いてないんですが)と比べると声に分かりやすい表情をつけてらしたようです。その表情のつけかたが嫌味でなく、抑制が効いた中にも登場人物の気持ちが伝わると言う感じがしました。他の声優さんがむちゃくちゃアニメっぽい教材っぽいしゃべりなのに対して、その中に溶け合いながらしっかり中尾ワールドを醸している、というと大袈裟でしょうか。(2001年5月21日、大仙) 

Q3:「中尾幸世神秘主義者説」とはなんですか。 
A1:中尾幸世さんのエッセイだとかを読むと支持したくなります。(2001年11月4日、あおせ) 
A2:中尾幸世さんの「実風景」あるいは原風景とはどんなものなのでしょうか。中尾さんは、もう中学生のころから演劇を志したり、竪琴や美術・工芸を手がけたり、直後から、ヨーガや生活習慣をコントロールしはじめたりしていらっしゃるのでしょうから、ご自分でも手を焼くような、いろいろ相反するものを内面にもった方なのだろうと推察します。内面の中に帰るべき世界が、というか、イデアの世界が、自分でも掴みきれない形で、そして現世では存続が難しい形で、あるのかも知れません。これは「榮子」のキャラクターにもなんとなく反映されています。(2001年11月3日、角田博英) 
A3:以前に志村ふくみさんの著書を読んだ記憶ですが、志村さんの御自宅は、関西方面のシュタイナー関係活動家の拠点となっている由です。10年ほど前でしたか、中尾さんが新聞に連載されたエッセイには、志村さんについて染色を習われた旨が書かれていて、私は深く納得しました。A子が音と向き合う姿勢、また中尾さんがA子という役と向き合う姿勢には、志村さんの素材や色と向かい合う姿勢と共通するものが感じられます。私は、中尾さん御自身が神秘主義に関して多くの知識をお持ちとは思いません。志村さん同様、体を使い、対象と、また自らと向き合う実践の中でおのずとあの声や眼差しを身にまとわれたのでしょう。「秘儀など知らずとも、成る者は成る」(岡野玲子「陰陽師」より、安倍晴明のセリフ)のですから。もっとも、現代において、佐々木作品に出演する以上の「秘儀」的体験(自己の内面的な何物かと、実人生とを高次元で調和・統合させる、というほどの意味で)がそうめったにあるとは思えませんが。私など、見るだけでかなり恩恵にあずかっています。(2001年11月4日、あるぷ) 

Q4:中尾さんが『夢の島少女』に出演するきっかけは? 
A:2001年11月25日の映画祭でのトークで本人の答え。中学時代に演劇部を作って、脚本も書いていました。TVでチラっと見た東京キッドブラザースをみてこれだ!と思いました。東由多加さんのユートピア思想にも共感し、高校2年の時に朝日新聞の記事でオーディションがある事を知り、オーディションを受け、キッドでお芝居をしていました。キッドの同期の人に佐々木さんの知り合いの人がいて、(佐々木さんが)ドラマの主演の少女を探していると聞き、紹介されました。」(2001年11月26日、まてぃあ) 

Q5:中尾さんが佐々木さんに会ったとき(←の印象)は? 
A:2001年11月25日の映画祭でのトークで本人の答え。自宅の近くの喫茶店で初めてお会いしました。線の細い人だなぁ、と思いました。ディレクターというとなんかこう・・・サングラスをかけている、というようなイメージがあったのですが、線の細い方でした。」(2001年11月26日、まてぃあ) 

Q6:中尾さんは「四季・ユートピアノ」などの作中でピアノを弾いたりしていますが、音楽は(←楽器は・・だったかな?)身近にあったんですか? 
A:2001年11月25日の映画祭でのトークで本人の答え。「楽器はピアノが一番最初にやってきました。その後就職してからはいろいろと・・、見つけると欲しくなってしまいます。一番新しいのは「プサルテリー」と言う楽器で・・。卓上に置けて、富士山のような形で・・・木製でピアノ線が張ってあって、こう(指で弾く仕草)を弾きます。とても可愛いらしい音がします。」(2001年11月26日、まてぃあ) 

Q7:中尾さんの今後の活動はどのようなものでしょうか。 
A:2001年11月25日の映画祭でのトークで本人の答え。「小さな朗読会などでほそぼそとやっていきたい」。(2001年11月27日、大仙) 

Q8:中尾さんが「四季」の後に「川シリーズ」に出演を決意されるまでのいきさつは。 
A:2001年11月25日の映画祭でのトークで本人の答え。実はいろいろあったけれど結局出演依頼を受諾し「私はこの作品で、私が生かされていることへの感謝を表現しようと思った」。(2001年11月28日、あるぷ) 

Q9:2001年11月25日の映画祭のパンフレット中(36ページ)、佐々木氏のコメントで「『白テンを抱く貴婦人』に負けない美を今度も中尾さんから引き出す!」とあります。これって何ですか? 
A1:ダ・ヴィンチの絵です。なんと年明けに、横浜美術館に実物が来ます。JRの駅などで「チャルトリスキ・コレクション展」のチラシを探してみて下さい。とても品があり、静謐な空間や時間、かすかな音や香りまでが感じられるような絵です。(2001年11月29日、あるぷ) 
A2:「白貂を抱く貴婦人」、これはふいんき似ていますよぉ、特に目元に口元かな・・・。(2002年2月11日、あおせ) 

Q10:2001年11月25日の映画祭での是枝氏から中尾さんへの質問。「佐々木さんと中尾さんのコラボレーション、5本の中であえて言えばどの作品が一番好きですか(印象に残っていますか(?))」(2001年11月30日、リトルリバー) 
A:「いまから思うと、『アンダルシアの虹』が一番印象に残っています。ジプシーの家族と本当になかよくなったことと、イタリア編の時は初めての海外での撮影ということで緊張していましたし、スロバキア編では向こうのスタッフがいましたから」 

Q11:2001年11月25日の映画祭でのトークで中尾さんの観客に対する最後の挨拶はなんとおっしゃったのですか。 
A1:「今日のこと(?すみません、うろ覚えです)ずっと覚えています」と仰った時の表情は、榮子さんが再び乗り移ったようにも見えました。(2001年11月26日、Mak) 
A2:「ありがとうございます。皆さんにお会いしたことを、ずっと、忘れません」正確かどうか自信がないですが、おなかの奥にすーっとしみ込む、静かで強いことばに、涙が出ました。この方が声のお仕事をなさらずにどうしましょう。私はオーディオドラマから中尾さんを知った中尾派(笑)なので、思い切ってサインをいただきながら、「中尾さんの声を、子守歌みたいにずっと聴いていました」とことば足らずにお伝えしたら、すっとお顔を上げて、こちらに体を向けて、あの大きな瞳で、一ファンのちっぽけな思いまでも、しっかりと受け止めてくださいました。もう、トイレに駆け込んで泣きました。(2001年11月27日、ちな) 
A3:私の記憶では「ほんとうにありがとうございました。今日皆さんにお会いできたことを、ずっと覚えています」でした。「忘れない」ではなく「覚えている」という、とても意志的な言葉を選んで使われたことが、深さと強さを感じさせるあのお声とあいまって強く印象に残り、いまだに私の中で響いています。(2001年11月28日、あるぷ) 
A4:確かに「ずっと覚えています」と言ってました。一瞬、会場全体がシーンとなって緊張感に満ちた感動が広がって大きな拍手が沸きました。このときのことを私もずっと覚えています。(2001年11月28日、リトルリバー) 
 

テレビドラマ

Q1:ドラマの再放送がありますが、私のオリジナルは記憶の中の中尾幸世になっちゃっているので、今度の再放送を見るか迷っています。どうしたらいいのでしょうか。 
A:どうしたらいいんでしょうね、としか答えられません。ドラマというものは作り手側、つまり送り手側だけでは成り立たない、これを聴いてくれる人、観てくれる受け手側がいて、初めて成り立つものだと思います。ドラマとは、テレビやラジオという媒体を通して生じる、そして送り手側と受け手側を包み込む共有空間じゃないのか、ドラマとはこの共有空間を示し、そしてこの共有空間を媒体として、送り手側の感動が受け手側に伝わり、そして増幅共鳴するものなのではないのでしょうか。人に強いる、強制するというのが一番嫌いなので、とりあえず、迷っていると言うことでしたらビデオだけにでもとって置かれるのをお薦めします。(2001年5月2日、あおせ) 

Q2:「春・音の光」はビデオで発売されたことがありますか。 
A:無いようです。「四季・ユートピアノ」のビデオテープが唯一ですが、現在は入手できません。2001年11月新宿区の地下鉄東西線早稲田駅近くのレンタルビデオ屋MEIGAZAに、『四季、ユートピアノ』のビデオがありました。(2001年11月20日、大竹) 

Q3:中尾さんの作品をどこかでみることはできますか。 
A:横浜の放送ライブラリーで「アンダルシアの虹」、「さすらい」、「マザー」、「四季・ユートピアノ」、オーディオ・ドラマ「都会の二つの顔」と「コメット・イケヤ」「おはようインディア」などをみることができます。 

Q4:佐々木昭一郎演出作品のDVD化はありますか。 
A1:アーカイブスのホームページ・広報担当のAさんからの返事で、「また、佐々木昭一郎演出作品のDVD化について検討を始めていますが、いまのところ、その可能性や発売時期など、詳しいことは全く未定ですので、あくまでご参考としてお聞きいただければ幸いです。」(2001年11月7日、宮田虎彦) 
A2:2001年11月25日の映画祭での佐々木昭一郎さんのコメント。「作品のDVD化については、進めるよう指示しました…」(2001年11月25日、げんまろ) 

Q5: NHKでは「夢の島少女」などをビデオ商品化する予定はないのですか。 
A1:今のところないそうです。ただし、2003年から、アーカイブスの番組をネット配信する計画があるそうです。(2001年5月17日、よっちん) 
A2:NHKソフトウェアのHP(http://www.nhk-sw.co.jp/)の「よくある質問」に、次のコメントがありました。「ビデオ商品化ご希望の番組がございましたら当社までご連絡下さい。」(2001年5月17日、JAN) 

Q6:佐々木昭一郎氏の『創るということ』に、「川」の主人公役を、初めはM(女優)か、S(歌手)にしようと思っていたというような意味のことが書いてあります(183頁)。MとSが誰だったのか少し気になります。どなたか推理していただけませんか。(2001年8月25日、のび太) 
A:?? 

Q7:佐々木昭一郎氏の最近の消息は。 
A:2001年4月28日付の『日刊ゲンダイ』「あの人は今こうしている」によると、なんでも体調を崩されていたそうです。今は回復され、草野球の試合を楽しみにしているとか。結婚もされ、神奈川県民になっていたんですね。(2001年4月28日、角田博英) 

Q8:「テレビドラマ代表作選集」1981年版、1982年版、1985年版に佐々木氏の作品名が入っているのですが、シナリオ集なのでしょうか?ユートピアノ、川の流れ、春、がそれぞれに入ってるらしいのですが。(2002年1月12日、ナカ) 
A1:横浜の放送ライブラリーには現物が書架に置いてあります。内容的には、シナリオ集です。新刊取り寄せで入手できる可能性があります。(2002年1月14日、いとう) 
A2:81年版は紀伊国屋新宿本店で売っています。立ち読みした限りでは「創るということ」に載っているシナリオの方が若干情景の説明が細かいようです。セリフの部分は同じようですが。(2002年1月24日、リトルリバー) 
A3:丸善に発注した「テレビドラマ代表作選集」は、全て絶版で駄目でした。(2002年1月31日、宮田虎彦) 
A4:先日注文しておいた分(81年版・82年版)が、本日発送になった旨、販社から先ほどメール連絡がありました。私は、先日三省堂のHPから注文(実質はhttp://www.bk1.co.jp/が代行)しました。左記のページで在庫検索するとわかるのですが、90年以前でも、81・82年版だけは入手可能なようです。(2002年2月1日、いとう)

Q9:佐々木昭一郎作品の「この作品のこのシーンはここで撮ったんだよ。」という撮影場所情報を教えていただけませんか。それをもとにちょっとした小旅行に出たいのです。(2002年2月4日、ギルバルス)
A: まてぃあさんのページ(http://matja.fc2web.com/)でまとめてあります。 (2002年4月24日、まてぃあ)
 

夢の島少女

Q1:「夢の島少女」の台本はどこかで読むことはできますか。 
A:池田氏の「日曜日にはTVを消せ」(http://www.asahi-net.or.jp/~hi2h-ikd/film/dreamislandgirl.htm)にあります。(2001年5月14日、あおせ) 

Q2:「夢の島少女」に関して当時の新聞の番組案内には作・演出 佐々木昭一郎となっています。しかし番組クレジットには鈴木志郎康氏の名前もありますが。 
A:リンクにある池田さんサイトのシナリオのスタッフリストにも出てます。ただ、佐々木さんの書いたものを読むと、最終的には、鈴木さんのアイデアの片鱗も無くなるほど佐々木ドラマになってしまったようです。鈴木さんは途中まで議論に参加した程度のようです。個性の強い作家の協働は困難ですからね。当初、タイトルの鈴木案は「息裂けよ少女」だったとか。これは別の世界だと思います。(2001年5月22日、JAN) 

Q3:「夢の島少女」の最初の放送日は長嶋引退の日だったというのは本当ですか。 
A:調べてみると長嶋引退は10/14、「夢の島」は翌15日です。ただ、同じ日だった、という方が圧倒的に作品の「悲運」としてはわかりやすいのです。(2001年5月31日、MARU)

Q4:NHKアーカイブスホームページでの「夢の島少女」の紹介に『少年と少女の「生」と「性」がテーマ』とありましたが。 
A:「生」はともかく、「性」は全然違うと思います。(2001年5月14日、リトルリバー) 

Q5:「夢の島少女」の少女の故郷である「八森」はどのあたりにありますか。 
A:最初の印象は青森だったのですが、調べてみると秋田と青森の県境から秋田側ですね。海は日本海になるのでしょう。鉄道は五能線です。(2001年3月26日、RAB゛E) 

Q6:「夢の島少女」で少女が捨てられていた川は、何川ですか。 
A:「夢の島少女 佐々木ディレクターに聞く」の記事の写真説明には、「東京都江東区木場にて」とあるから、隅田川というより、その支流または運河でしょう。ところで深川って川の名前ではありません。江東区の中の地名です。夢の島の近くにあります。(2001年5月14日、リトルリバー) 

Q7:「夢の島少女」で建設中の高速道路はどこですか。 
A:首都高深川線です。(2001年5月22日、ねむら) 

Q8:「夢の島少女」の舞台は現在、どうなっていますか。 
A:「夢の島少女」の舞台、木場へ行ってきました。冒頭、「2丁目11−7」という住所がチラッと映りますが、たぶん木場2丁目だろうと探してみると、建物はなく、細長い土地にいまは駐輪場ができていました(鹿島建設独身寮専用駐輪場)。ただ近くに川はありますが、裏側にはなく、小夜子をかついで歩いた映像を見てもちょっと方角が違うような気もしますが、そこら辺は編集のせいかもしれません。駐輪場は狭いのですが、確かにあの長屋のような建物があればここがそうだったと思います。地下鉄東西線の木場駅からすぐのところです。(2001年6月4日、リトルリバー) 

Q9:「夢の島少女」の「夢の島」とはどんなところですか。 
A:廃棄物の集積所、例えば冷蔵庫、テレビ、様々な電化製品を筆頭に、便利だろうな、素敵だろうなと買い得てきたもの達、夢を託したモノ達、土を被った夢の骸(むくろ)。夢の島、夢、言い換えれば希望と名のつくモノ達の島。(2001年5月27日、あおせ) 

Q10:「夢の島少女」「四季・ユートピアノ」に出演しているケン少年は、他の作品にも出演していますか。 
A:佐々木昭一郎さんのラジオドラマ時代の名作「おはようインディア」(1966年頃。寺山修司との合作)にも出演されています。主人公はインド人女性と子供のケンちゃん。例によってほとんどアドリブではないかと思わせる自然な会話と、登場人物たちの声の良さは抜群で、聞いた後ではまわりの世界が違って見え(聞こえ)るように感じたものです。(2001年4月20日、あるぷ) 

Q11:「夢の島少女」「四季・ユートピアノ」に出演しているケン少年について情報はありますか。 
A:彼は寺山修司が見つけてきた少年で、なんでも学校だか、児童館主催だかの「ほら吹き大会」で優勝したのが寺山修司の目にとまったそうです。「おはよう、インディア」の少年のセリフはケンちゃんのアドリブがだいぶ入っているといいます。(2001年4月23日、想) 

Q12:「夢の島少女」の少女の氏名はなんですか。 
A:「小夜子」のおばあちゃん役のヒトの本名姓が「菊地」ですから、小夜子の姓も菊地の筈。そうすると菊地小夜子、キクチサヨコ...。「紅い花」の主人公の少女はキクチサヨコでありました。(2001年5月16日、菊地小夜子) 

Q13:「夢の島少女」の少女の名前「小夜子」に意味はありますか。 
A:主人公の名前をつける時に、中尾さんがサチヨのチをとってサヨはどうですかといい、それに佐々木氏が子をつけて、小夜子としたそうです。(2001年5月18日、リトルリバー) 

Q14:「夢の島少女」はどう解釈したらいいのでしょう。 
A1:BSで放送された、「佐々木昭一郎の世界」で佐々木さん本人が解説されてます。あの少女が少年に川から引き上げられた時には、少女は誰かに殺されて死んでいる…という設定らしいんですね。『家に連れ帰って介抱するんだけど、疲れて眠ってしまう。あの、現在と過去を行き来する話は、少年の夢であり妄想・空想。。。イマジネーションの世界。少年のイメージの中で、女の子はすごい美少女になっていて、殺したのは誰か?とか、身寄りのない自分にとって、もしかしたら母親ではないか?殺したのは自分ではないのか?など色々なことを考える。で、ハッと我に帰って、少女の死を悼んでやろう…一緒に生を生きてやろう。と思って、夢の島を歩いて行く』というお話だそうです。(2001年5月30日、とまと) 
A2:作者自身が解説しているとそれに従った見方を強いられがちですが、作品に表現されていることと見たそれぞれの人の感じたことが全てです。女は最初から殺されて死んでいる設定、というのをいわゆる肉体的な死と短絡しては、作品の本質を見失います。人間の「生」の核にあるのは、夢=希望であり、それを喪失した時、人は生きながら死んでいることになってしまう。「大人」がそれを失わせたのであり、それゆえ少女は誰かに(大人に)殺されて死んでしまっているのでしょう。「夢の島少女」の主人公はケンです。何故なら作品を貫く意識の流れはケンのものであるからです。少女の記憶もケンのイマジネーションでしょう。また少女をさいなむ「大人」をケンは憎んでいるが、ケンの意識の中の「大人」とは未来の自分だということを彼は自覚しているかもしれません。そして、ケンは佐々木昭一郎のまったくの自己投影なのではないでしょうか。同時に小夜子は作者のある部分の分身だと感じました。この作品の主題は、「希望喪失」(死)を超克し「再生」と「共生」を希求する「生の意思」の絶望的な試み、だと感じました。これは作品のテーマ音楽によって語られています。カノンが「再生」を、ロビン・アディアが「共生」を。(2001年5月31日、MARU) 
A3:少年に背負われて行くラストのシーン、はじめの場面を彷彿とさせますが、はじめとは違って小夜子には意識があり腕を自分でまわします。幸福そうでもあります。演出家の「少年が死んだ少女を担いでいく間に見た妄想」というのは真に受けない方がいい、と書いた方がいました。そうかもね、と思います。そんな個人的な感情を描いているのではないでしょう。行き所のなさ、未来の見えなさ、そんなことがテーマだったのでしょうか。(2001年8月2日、ふくろう) 

Q15:「夢の島少女」の少女の服の色に意味はありますか。 
A1:赤、セーラー服、白、紺が、視聴者をナビゲートするために、使い分けられていたのではないか、と思うのですが、みなさんは如何ですか。(2001年6月18日、角田博英) 
A2:赤が自分でコントロールできない時間・肉体の成長、白が無垢(自分の意志さえない・または持てない状態)、紺は理性・自分の意志、かな、と。(2001年8月2日、ふくろう) 

Q16:「夢の島少女」の少女は高校生・中学生のどちらですか。 
A:あの時代の集団就職なら中学生でしょう(すぐにウェイトレスになるとは思えないので、工場を辞めてなったのでしょう)。教室でみんなが歌っている場面も、胸に名札らしきものがついています。冬服(セーラー服)にはありませんでしたが。夏、多くの生徒が胸に紅い生徒手帳らしきものを入れていましたが、小夜子の胸にはありませんでした。なぜでしょうね?(2001年8月2日、ふくろう) 

Q17:『夢の島少女』の最後の縄跳びの意味を、私は実はあまりじっくり考えたことがまだありません。とても不思議なのです。どなたか、わかりやすく書いて頂けませんか。(2002年1月23日、宮田虎彦) 
A:カメラマンは撮影の対象に普通はならないのだけれど、撮影も最後に近づき、
      中尾幸世「葛城さん、カメラ重くて、跳べないでしょう」
      葛城カメ「ええ、大丈夫ですよ。ほら、(ぴょん、ぴょん)跳べるでしょ。楽しいなあ」
      ケン「よくそんな掃除機みたいなカメラ担いで跳べるね」
      葛城カメ「ケンちゃん、やってみるかい?」
      ケン「駄目ですよ、鎖骨が折れちゃいます」
      葛城カメ「ほら、ヘリの音。もう、(この撮影も)終わりだね」
    何の根拠もなく、こんな幻想をしながら、私は画面を眺めていました。 (2002年5月2日、宮田虎彦) 

Q18:「夢の島少女」のもう一つのテーマ音楽というべき旋律で印象的だった、ハープの曲のタイトルは。 
A1:池田さんのサイトにある再録シナリオによるとアイルランド民謡「ロビン・アディア」です。(2001年5月22日、JAN) 
A2:アイリッシュハープ演奏はドロシー・ブリトンです。(2001年5月31日、ふくろう) 
A3:『夢の島…』の中の曲〈ロビン・アディア〉は、ネットで検索すれば出てきますが、ベートーヴェンの〈12の様々な民謡主題〉のなかの一曲のようです。『ベートーヴェン事典』というものがありまして、引いて見ると、民謡としての題名は〈お前のすべての誓いが、偽り女よ…〉というもので収集・記録されているようです。演奏・録音されることは、まれとされています。三種類の楽器によるトリオの演奏曲です。北欧のピアニスト、オリ・ムネストンの《ムネストン・プレイズ・ベートーヴェン》(RCA)のなかで、〈10の民謡主題と変奏曲〉が録音されています。ひょっとすると彼は演奏するかもしれません。また、Ann Murray”Irish Songs”(外盤)というアルバムには、ベートーヴェン編曲の2曲が採り上げられています。しかし、これは歌曲か…。でも、〈ロビン〉というのは、シャーウッドの森のロビンフッドのことでしょうから、どこかで誰かが、間違いを犯しているのでは。確かにアイルランドとは「緑つながり」ですけど。(2001年6月18日、角田博英) 
A4:「夢の島少女」で使われていたアイリッシュハープの旋律についていろいろわかってきました。英米独仏やニュージーランドのサイトで調べました。Robin Adair でYAHOO UK 等を検索すれば、たくさん出てきます。楽譜もありますし、演奏(MP3)をダウンロード(ただで)できるものもいくつかありました。もともとはアイルランドかスコットランドのケルト音楽だったものが、18世紀にロンドンの音楽シーンに「ロビン・アディア」として登場。以降、ヨーロッパやアメリカに伝わりました。特に南北戦争から第一次世界大戦まではかなり「アニーローリー」同様に米国ではポピュラーだったようです。その後は消えたわけでは無いけれどスタンダードナンバーの地位を保てなかったのかレコードやCDに民謡として取り上げられることが少ないようです。。有名なイギリス民謡は、たくさん日本に入ってきて日本語の歌詞付きで広まったけど、この曲はなぜかその運命をたどらなかった。佐々木昭一郎氏は、どうしてこの旋律を知ったのだろう。佐々木さんに近い人がいたら聞いてもらいたいです。(2001年7月8日、MARU) 
A5:Robin Adair といわれる曲の旋律のオリジナルはアイルランドのケルト民謡だったようです。このアイルランド民謡が、あるきっかけでロンドンの「流行歌」になり楽譜として出版され、その後広く「流通」していくことになります。その最初のきっかけは1742年8月3日 Londonの劇場で上演された Charles Coffey作の「The Beggar’s Wedding(乞食の結婚)」で女優のKitty Cliveがゲール語で唄ったことです。これは「Aileen Aroon」という曲名ですぐに歌詞付の楽譜が出版されます。その後、18世紀後半に類似出版や別の歌詞によるものが続々とロンドンやダブリンで出版されることになりました。[注:Kitty Clive (1711−1785)英国の喜劇大女優。アイルランド人の法律家を父に、おそらくLondonで生れる。LondonのDrury Lane Theatreで活躍。歌でも一世を風靡。ヘンデルが絶賛。Samuel Johnsonが友人にいる。] 
 別の歌詞によるもので『ロビン・アディア』”Robin Adair”(以下RA)として知られる詩はLady Caroline Keppel (1735−?)が、アイルランド人の”Robin” Robert Adairと結婚する前、おそらく1750 から 1760の間に書いたものです。そして、この詩のものが最も広まることになります。また、’Auld Lang Syne’(蛍の光)で知られる詩人のRobert Burns (1759−1796)もPhillis The Fairという詩をこの旋律につけて1793に出版しています。出版後にBurnsは、「この旋律で母がゲール語で歌うのを聴いたことがある。」というハイランド地方のスコットランド人に会っています。ゲール語とはスコットランドやアイルランドのケルト語です。  
 小説家のJane Austen (1775 − 1817)が1814−1815に書いた長編小説Emmaには「彼女は今RAを弾いている、彼のお気に入り。」との描写があります。英国での当時の流行が推測されます。一方、19世紀初頭にヨーロッパではアイルランド、スコットランド音楽がちょっとしたブームになっていました。ベートーベンもそれらの曲を収集・編曲した曲集をいくつか出版しています。RAの旋律が「諸国の12の歌(WoO157)」1814〜5)の7曲目に「Since all thy vows, false maid, are blown to air(お前の全ての誓いが、偽り女よ、空に吹き去る)」として登場します。これは演奏が素人には難しい編曲で、楽譜販売の客層である市民にはあまり売れなかったとか。また、イタリアのマウロ・ジュリアーニ(Mauro Giuliani) は1823にSei Arie Nazionali Irlandesi variate Op. 125(Six Irish national airs)という曲集を出版していますが、そこに「庭の千草」(The Last Rose of Summer)や「故郷の空」(Coming Through−The Rye)などとともにRAもあります。さらに、この旋律はオペラに登場しました。1825にパリで初演されたFrancois−Adrien Boieldieu (1775−1834)作曲の喜歌劇La Dame Blanche(白い女)の前奏曲、第一幕、第三幕にてRAの旋律が使われています。このオペラは大成功をおさめヨーロッパ各国で上演されました。スコットランドの古城を舞台とした劇です。  
 この19世紀、アイルランドやスコットランドからたくさんの移民が彼らの故郷の調べを心の友としてアメリカへと渡りました。RAも同じようにアメリカに渡ったのでしょう。アメリカでの出版物にも登場するようになります。1858年に出版の「The Masonic Harp」という、フリーメーソンの儀式や社交に用いる歌をおさめた本には、402の詩とそのうちの106の旋律が出ていますが、「アニーローリー」とともにRAもあります。また1870年代、米国南北戦争当時、第9歩兵連隊で流行したとの記録もあります。 
 当時は米国で人気作曲家だったらしいSeptimus Winner(1827−1902)がバイオリンとピアノのために編曲して「Robin Adair (Irish tune Eileen Aroon)」として出版しているのをはじめ、数々の編曲が出版されたようです。  
 米国議会図書館のMusic for the Nation: American Sheet Music,に保管されている1870−1885の間の楽譜をHPで見ることができますが、ここにはRAのさまざまなアレンジを見ることができます。「アニーローリー」や「庭の千草」と同様に流行していたことがうかがえます。ここでは、RAの原曲をスコットランドあるいはアイルランドとする2通りの記述ですが、詩はたいていKeppelのものです。これらの楽譜は「良家の子女」の家庭内音楽向けだったのでしょうか。アップライト・ピアノが家庭に普及した時期のようです。第一次世界大戦の終わった1919年に、シカゴのThe Cable Companyというピアノ会社が出版した「101のベストソング」(というタイトルなのに何故か102曲収録の楽譜集)にもRAが収録されていますが、ここではあの「マイボニー」も登場しています。 
 また同じく1919年にニュージーランドで最初のラジオ放送がDunedinで始まった時のオープニングとなる第一声は、開設者の恋人の歌うRAでした。このように、英語文化圏世界で広く親しまれていたのがわかります。 
 ドイツではヒトラーが政権を獲得する5年前の1928年、ワイマール共和国時代の良き時代には、ドイツ学生歌集(Kommersbuch)が出版されていますが、ここにも約500曲の中のひとつにRAが見出されます。アイルランドの曲と記されていますが、詩はドイツ語ですが内容はKeppelのとも他のとも違います。 
 このように今世紀初頭までに出版された楽譜を媒体に、ロビン・アディアは流行していったことがわかります。ところが、第二次世界大戦後は、音楽の流通の主力は放送やレコードなどの録音媒体に移行します。このあたりがRAが現在マイナーな曲になってしまった理由があるように思われます。RAは、聴く曲でなく自ら弾く曲だったのではないでしょうか?(2001年7月18日、MARU) 
A6:こちらのサイト(http://ingeb.org/songs/whatsthi.html)ではバグパイプの演奏で聴くことができます。このアイルランド民謡の旋律に、後にあるイングランド女性が自分の恋人の名前「ロビン・アディア」の歌詞をつけたのです。Melody Melody と二つ表示されますが、それぞれ違う演奏です。二つめがバグパイプでした。ドラマのアイリッシュハープのとは、ずいぶん感じが違います。 これはFolksongs of various Countries というサイトにあるのですが、Eileen Aroonのタイトルで同旋律のまた別の演奏があります。( http://www.ingeb.org/songs/whenlike.html )(2002年9月15日、OPER) 
A7:こちら(http://memory.loc.gov/ammem/mussmquery.html)で「Robin Adair」を検索すると、色々なアレンジのものが出て来ます。image画像で楽譜を観る事ができます。(2002年9月22日、げんまろ) 

Q19:パッヘルベルのカノンのコード進行は。 
A:(Cから始めると)C G Am Em F C F Gということです(最後はG7としているのもある)(2001年8月2日、buki) 

Q20:中学生たちが「♪ふるさとの花よ香るか今も・・・」と素直な歌声で歌う曲はなんですか。 
A1:こどもの頃ピアノで弾いた,ケーラー作曲「スワビア民謡」。でも,歌で聞くのは初めてのような・・・。(2002年9月21日、ルーモサーノ)
A2:私の習った教科書には載ってたように思います。(2002年9月21日、宮田虎彦)
A3:私は中学の時に習った覚えがあります。(2002年9月22日、ぱたぽん)
        ♪〜ふるさとの花よ香るか今も
       流れ行く水の岸辺に白く
       旅路はるか 夢は帰る
       ふるさとの花よ香るか今も〜♪

四季・ユートピアノ

Q1:「四季・ユートピアノ」の台本はどこかで読むことができますか。 
A:佐々木氏の「創るということ」に収録されています。 

Q2:エミー賞は「紅い花」のようですが、2001年5月13日の放映では加賀アナウンサーが、「四季・ユートピアノ」をエミー賞といっていたような気がしましたが、実際の所どうなのでしょうか。(2001年5月14日、ねむら) 
A:「四季・ユートピアノ」は1980年11月24日に国際エミー賞優秀作品賞を受賞しています。「紅い花」も国際エミー賞の優秀作品賞(1977年)をとっています。 

Q3:「四季・ユートピアノ」の国際版と国内版の違いはどこですか。また、2001年10月21日放映の「四季・ユートピアノ」と以前放映されたものとの違いはどこですか。 
A1:10分というとけっこう長いので、いろいろカットされているんじゃないかと思いますが、僕もどう違うのかよくわかりません。ちなみに映像カルチャーホールで1984年3月に上映された「四季・ユートピアノ」は90分の国内版、6月の時は英語字幕のある100分の国際版、NHK番組を見る会で1984年10月10日に上映されたのは、90分だけどTV放映版とは違うバージョンです。これは佐々木さんの説明によると、上司に見せるために編集したTV放映の一歩前の版で、中尾さんのナレーターもこの後に入れ直してもらって、TV放映したそうで、若干違っています。例えば「秋、仕事が少なくなった。」の後に「黒塗りの車が来た」というセリフがあるし、ミスター・ベルの家の前で「I am a piano tuner....I would like to fix a piano,sir」の後に「I’m not violinist....」というセリフが加わっているという珍しいバージョンでした。発売されたビデオは100分の国際版です。僕のメモでは1985年3月20日の再放送は23時25分〜25時10分となっています。はじめの5分に広瀬さんと評論家の佐怒賀さんの話があり、エミー賞授賞式の模様が映りました。(2001年7月8日、リトルリバー) 
A2:ビデオのものとか、おそらく前回の再放送のものにはないせりふがたくさん耳についたのですよ、。細かい違いはいろいろとあったのですが、(途中から数えていたんですけど20箇所ほど?) 一番大きいのはアイ子に会う前にオームとの会話で「人を楽しませるためにオームは50年も生きる」っていってましたよね。 それはビデオにはないような気がします。そうすると「ひばりはひとの10倍の速さで生きる」につながるわけで、作者の意図が見えてきますよね。 時間を見てみるとビデオは100分となってるから放送時間より長いわけでなんで省略されているのかよくわかりません???どうなってるんでしょうね?(2001年10月22日、みのぽん) 
A3:これまでにはなかったセリフがずいぶん入っていて驚きました。1980年当時のものとビデオで発売されているものは音楽が違いますよね。それに昨日放映されたのは、さらにずいぶん音が増えていました。オペラ歌手の家で、きちんと音があっているのにやり直しをお願いされて、「時にはやっている振りをすることもある」という新しいセリフと、野外音楽堂で「初めてコンサート用ピアノを調律した。」というセリフ(共にはじめて聞くせりふでしたが)なんだか調律師っぽくてよかったです。(2001年10月22日、hiroto yoshimori) 
A4:アーカイブス版と1981年に録画したものをテレビを2画面モードにして同時に見てみました。台詞や音楽、すべて同じでした。1996年のBS「佐々木昭一郎の世界」版も同じようにして今回放送のものと比べてみました。結果はBS版にはロッテルダム号上での船員との会話の時、字幕がないことや日記を無くしたというナレーションのバックの映像のとき地下鉄(東西線・木場駅?)のシーンが長かったり、榮子の母親が七輪で目玉焼きをつくるシーンがあったりなど細かな場面の違いがあります。とはいえ今回もロッテルダム号上で榮子が調律している様子をいすに腰かけながら見ている宮さんの隣に奥様、実子様の姿がはっきりと拝見できました。これもさまざまな機器の発達のお陰でしょう。なんだかほのぼのしてしまいました。(2001年10月23日、micchann) 
A5:A子がクラスで自己紹介の時に黒板で「火を2つ書きます」。ピアノ工場がつぶれたとき「時計がとまっていた」。引っ越して「背広一万円貯金減額」。宮さんとこで「ドイツ語をひとつ覚えた。グランドピアノは、、、」。オペラ歌手の家で「コンサートの前の歌手はおとにうるさい」。そして「時にはなおすふりをすることもある」。ケンと海岸で「てっちゃんをおもいだす」。オームを前にして「オームは人を楽しませるために50年も生きる」。アイ子を前に「姉さんのようなアイ子」。でも、100分版にこれらがないってどういうことなんでしょうかねえ?佐々木さんは何をどうしたかったのでしょうか???(2001年10月24日、みのぽん) 
A6:「WELCOME TO IKEDA HOME」サイトに映画批評のページがあります。その中の「1977『日曜日にはTVを消せ』」欄に茨木千尋さんが「『四季・ユートピアノ』放送バージョン差」と題して一文を寄せています。(2001年11月14日、ギルバルス) 

Q4:「四季・ユートピアノ」の最初の放送時、昭和55年当時の評価はどうだったのですか。 
A:大半は非常な好評をもって迎えられたのですが、こんな評が出たそうです。「作者・演出家のエゴイズムの産物。社会状況に目もくれていない」著書『「創る」ということ』(1982年)の中に出てきます。佐々木氏の反論は「まっとう出来ない愛という主題に、社会状況は溶かし込んである」というようなものでした。(2001年10月7日、角田博英) 

Q5:「四季・ユートピアノ」の主題はなんですか。 
A1:『第二次世界大戦敗戦直後からの日本人の戦争PTSD。』(2001年5月17日、弟世代星人) 
A2:『「川」シリーズにしても、圧倒的な映像美と登場人物たちの感性につい心を奪われますが、主題の一つはまぎれもなく「戦争」「愛するものとの望まぬ別離」ですよね。』(2001年5月18日、あるぷ) 
A3:「四季・ユートピアノ」の主題も夢の島少女の延長上にあると思いますが、絶望よりも人生を称える肯定的な意識が感じられます。(2001年5月31日、MARU) 
A4:この作品は抵抗することも、武器をとることも知らずに、または選ばずに死んでいった人たちへのレクイエムであるはずです。(2001年10月28日、角田博英) 
A5:A子のイメージを、思いつくままに書きますと、定点観測の点。風のなかにすっくと立った一本のりんごの木。川の流れのなかに杭のように立った一本の音叉。世界の音−−流れてゆく時間−−を聴くひと。「去りゆく一切は比喩に過ぎない」(ゲーテ「ファウスト」)という言葉を思い出しました。つまるところ、あのドラマは、戦争とか、昔の日本とかでなくて、去りゆく一切、生々流転のようなもの(ラストシーンの涙が意味するもの?)を描こうとしたのかな、と考えています。(2001年11月6日、おおにし) 
A6:夢の島で呪縛された中尾幸世を救済する作品である。その後の「川」三部作という長丁場の作品で自分をすっくと立たせるために、色々な人々に出会ってなお、自分を見失わない存在として立たせるために、「女優・中尾幸世」を呪縛から解き放ち、真の高みへ誘うために作られた。「川」のプロローグとしての意味もあるが、その後に耐えうる自己を確立させるために必要だったとさえいえる。(2001年11月11日、ふくろう) 
A7:榮子は「運命愛(ニーチェ)」の人です。それは悲運を他者に委ねず自らに引受け「生」の一回性を貫くということです。私は、輪廻というよりも「生の一回性」の中での「永劫回帰(ニーチェ)」のようなものを「ユートピアノ」のもつ円環のイメージから感じました。(2001年11月12日、MARU) 

Q6:爆音を識別するレコードって「四季・ユートピアノ」に出てきませんでしたか。 
A1:出てきます。それから、「七色村」にも出てきたような気がします。毎分78回転のレコードかな。(2001年8月16日、宮田虎彦) 
A2:「B−17 高度・・・」いったフレーズに続いて爆音が収録されているものです。兄がりんごの木の前の雪の上で、チューニングハンマーで叩き割ります。

Q7:「四季・ユートピアノ」中のチューニングハンマーの意味は何でしょう。 
A:「見えない音を憎んだ兄」が爆音識別レコードを割る場面。兄がふるっているのは、なぜかチューニングハンマーなのです。普通のトンカチでないのは何故?記憶の風景では事実よりもチューニングハンマーが真実となっているということでしょうか?いやな音を破壊し、後に調律の道具として登場します。(2001年11月 8日、MARU)  

Q8:「CHI VA PIANO VA LONTANO」とは。 
A1:「四季・ユートピアノ」中、バイオリンケースに書かれていた言葉です。「静かに行く人は遠くに行く」。資料『アホウドリの女性不案内』では、この言葉をポー川のルイジさんから送られたとの中尾さんの話が。(2001年10月22日、buki) 
A2:「四季〜」中では同じ意味で(だったよね...幻じゃないよね)別のつづりの言葉をつかってたかと、たしか。聞き取れなかったけど。(2002年1月30日、buki) 
A3:「四季」では「CHI VA PIANO VA SANO」とバイオリンケースに書いてあり、榮子もそう発音していました。でも正確なことわざは「CHI VA PIANO VA SANO E VA LONTANO」というそうです。意味は「ゆっくり行く人は安全に遠くへ行く」。「川の流れ…」では、確か「キ・バ・ピアーノ・バ・サーノ・エ・バ・ロンターノ」と正確に言っていたと思います。(2002年2月4日、リトルリバー) 

Q9:「四季・ユートピアノ」でなぜI子の死が描かれなければならなかったのでしょうか。 
A1:I子さんってA子さんととってもよく似てるんですね。I子のおそらく若いときに死別した弟の存在といい、おそらく両親とも死別して、東京にでてきたという点で。りんごと夏みかんの違いが象徴的に思えます。なによりA子もI子も誰も頼るひとがいないということが。(2001年10月26日、みのぽん) 
A2:”I子はA子の分身”というのは、いえると思います。私も、I子は、A子 の代わりに死んだというか、I子 =あの年齢で死んだかもしれないA子なのかな?と思います。物語のあのあたりから、A子は生きることをはっきりと選んだというか、死の影から遠ざかっていくような気もするし。いま、ここにこうして生きて夏ミカンを食べているA子と、もう夏ミカンを食べれないI子という対比、おばあさんの「死ぬべくして死んだんだから」ということば、「主よ、人の望みの喜びよ」=生きる喜び? I子の「I」は、愛でしょうか。C音の音叉の「C」は、おそらく「死」?あのときの季節が、夏(8月?)というのは、戦争や、原爆などで(若くして)死んでいった人たちを意識しているのかな、とも思える部分はあります。I子の鳩笛の「鳩」は、平和の象徴なのでしょうか。(2001年10月26日、おおにし) 
A3:林檎の村と夏みかんの村。兄弟を亡くしていること。故郷の祖母や祖父。あまりにも対照関係がぴったりしていると思います。かけがえの無い人たちが、榮子のまわりで事故死していったり、自殺していった。榮子はそれをどう受け止めていったのでしょうか。まるで自分の罪のように思っていたのでしょうか。そういう考えが心のそこにあったとしても、彼女は明るい方に顔を向ける人でしたよね。愛子の死は、榮子の魂の傷が癒えかけ、辛いことも「諦念」をもって受け止められるようになったことの表現だと思います。おっしゃるように、愛子は榮子の身代わりというか、パラレル・ワールドでは榮子そのものだったのではないでしょうか。(2001年10月28日、角田博英) 

Q10:「四季・ユートピアノ」の「志木榮子」の名前に意味はありますか。 
A1:A子のエイが、栄ではなく「火をふたつ書きます」のほうの榮であるのは、火事のモチーフと呼応しあっていますね。(2001年10月26日、おおにし) 
A2:埼玉県に志木市という地名があります。 

Q11:「四季・ユートピアノ」で榮子の生まれた年はいつですか。 
A1:戦争の記憶に苦しむ榮子の父親を、仮に1920年生まれとします。1980年に22歳とすれば、榮子は1958年生まれ、父親38歳の時の娘です。当時の常識からすればかなりの晩婚になるかも知れません。榮子の兄が火災で亡くなり、母が入水したのは1962年のことです。父親は「戦争後遺症(PTSD!)」で、十数年も苦しんでいます。父親が亡くなったのは、1974年のことです。父親は五十代で亡くなったことになります。高校を卒業して、転々して後、宮さんに弟子入りしたのは1978年、20歳の時のことです。(2001年11月2日、角田博英) 
A2:年代が特定できる箇所は一個所だけあります。ベートーベン生誕210年の練習風景。調べてみるとベートーベンは1770年生まれなので、1980年と特定はできます。4歳で兄を亡くしたA子が16年(64の季節)を経て1980年にピアノを母校に贈るわけですので、A子は1960年生まれということになります(2001年11月7日、JAN) 

Q12:「四季・ユートピアノ」で色はどのように用いられていますか。 
A1:色の持つ象徴性も気になります。圧倒的に赤。赤い丸いもの(これは父がおびえたものであり、犬と仲良くするためのもの)、リンゴ、赤いサラファン、I子の鳩時計を包むバンダナ、炎、榮子の衣装。しかし小学校にピアノを送ったことを兄に報告する場面から「青」が支配します。送り状、榮子の青い衣装、「今度はブルーのピアノを贈りたいな。」など。赤から青への転換は、榮子が幼少の罪の意識から解き放たれたことを象徴しているようです。(2001年11月8日、MARU) 
A2:緑のピアノ、なぜ緑? なぜここで? 違和感として未だ残っています。(2001年11月11日、ふくろう)  
A3:「グリーン」のピアノ。グリーンは唐突なのですが鍵は大川さんでしょう。次ぎの場面で、榮子と大川さんがいる公園で彼等の背中の壁は「グリーン」のペンキで塗られていてイナズマと書かれている。イナズマから「大きな」声してるよ。で、つぎの「大きな声」のオペラ歌手へとフックで意識が連続していきます。(2001年11月12日、MARU) 

Q13:「四季・ユートピアノ」にでてくる「鈴」の意味はなんですか。 
A1:この作品がものすごいのは、音響効果をシンボリックに使って、映像に映っている榮子の物語の進展と同時に、もうひとつ別のモチーフを、見えない形で展開していることにあります。「罪の意識」という言葉が、作者の作品ノートにあると思うのですが、「罪の意識」って言ってピンときますか?これは、一番の例と思いますが「鈴の音」は、榮子の心に去来する肉親(とくに兄)への追慕や負い目を表していると感じるのですが、どうでしょうか。「鈴の音」=「罪の意識を呼び覚ますもの」ではないでしょうか。目には見えないモチーフは、あえて言葉にするならば、彼女が放心するといつもおそってくる、幼い頃の“魂の惨劇”の記憶と、長い年月を経て後の、それからの解放(魂の復活、回復、癒し)だと思います。一連の鈴の音にまつわる表現の展開は、街で榮子が鈴を鳴らす托鉢僧とすれ違う場面で一応決着すると思います(怨霊が成仏した?!)。(2001年10月25日、角田博英) 
A2:榮子の祖父が倒れ、家計が逼迫するエピソードの前後の場面に集中して現れる「鈴」が特徴的です。感情的な意味で、暗転、明転(?!)、暗転と、一連の場面をきりかえてゆくのに見事に使われていると思います。わたしは「希望」と「この世の苦しみ」のせめぎあいを、運動のように表現するための、場面上の「核」として「鈴」があると捉えました。「鈴」を無くして「音叉」を拾う……(「明暗」のせめぎあいの開始です)。見知らぬ男に追われる恐怖…でも「鈴」を拾ってくれただけだった……(「暗」から「明」へ)。「鈴」を荷馬車に投げつけて手鏡を奪う…(「暗」の断固とした拒否。運命への怒り・抗い。雄々しい精神。)(2001年11月9日、角田博英) 
A3:鈴は一貫して大切なものとして扱われています。鈴と音叉を「暗・明」の単純な対立概念とは感じません。私には、鈴=家族(の運命)の構図が見えます。さらに音叉=自立した人間、しかし孤立者でなく他者との関係で成り立つもの(の希望)が見えます。盲目の少年との場面について、「肉親たちのことを意識下でも想い続けていることの?形象化?」と御指摘のようにそこからも鈴が家族の形象化ということが読めます。私には理屈抜きに単純に、榮子が失われた家族への思いを意識的に常に身につけている、と直感しました(2001年11月12日、MARU) 

Q14:「四季・ユートピアノ」にでてくる「音叉や楽器」の意味はなんですか。 
A1:彼女が前に進む手がかりになったのは音叉や楽器だったと思います。バレエの練習で何かの気配を感じたときに、榮子はハーモニカを吹いていましたよね。この作品の宇宙のなかでは、わたしは、「鈴」は混沌とした暗い怨霊の世界、「音叉や楽器」は、秩序だった明るい理性の世界をシンボライズしていると考えます。(2001年10月28日、角田博英) 
A2:I子の死を「音で供養した」と、榮子が言ってましたね。ここでは鳩笛を吹いています。(2001年10月29日、宮田虎彦)  

Q15:「音叉」の役割はなんですか。 
A:「音叉や楽器」は、秩序だった明るい理性の世界をシンボライズしていると考えます。例えば『川の流れはバイオリンの音』で榮子が男に追われるシーン。実はこれが榮子が落とした音叉を届けてあげようという青年だった、そして、このことが、きっかけとなり好もしい展開を産み出すことになる、このことからも音叉の役割が『川の流れはバイオリンの音』にも継続しているのだろうなと思うわけです。(2001年10月28日、角田博英) 
A2:音叉は調律の水準器でもありますが、同時にプリミティブな楽器であると思うと、その意味では、A子は、世界の音を聴くだけの存在ではなく、この世界に歌いかける−−響きかける−−−存在でもありますね。(2001年11月6日、おおにし) 
A3:音叉は、単独では振動するだけで音を出すことはない。振動させた音叉を何か板や物にあてて、文字通り共鳴する他者があって初めて音になるのです。川シリーズ三作目でA子がラド少年に音叉をあげてしまいます。これを見たとき「川シリーズはこれでおしまい」と直感してしまいました。(2001年11月12日、MARU) 

Q16:「四季・ユートピアノ」で榮子は音叉を拾いますがその意味はなんですか。 
A:音を通じて世界を認識したり自分や他人の人生の意味を捉えたりするというのは、別に新しい手法ではないけれど、そうする人物が音を操る音楽家でも音を受け取る聴衆でもなく、ピアノの調律師だという点が主人公のあり方を規定している、また、規制しているように感じました。彼女の名前がA子、つまり、音合わせの基準のA音、となっているところからすると、制作者もそれを意図していたのでしょう。彼女は音の体系の秩序それ自体だから、つまり音の尺度のようなものだから、彼女自身は常に自己一体的でしかあり得ず、狂うことはもちろん、自分との間で深く調和することもできない。つまり彼女は幸せにも不幸にもなれない。汚れることも浄化されることもできない。また、彼女の周囲で何が起こっても、そしてそれが彼女との関係において起こっても、彼女は決して巻き込まれることがない。いちばん分かりやすい例は、C音の音叉を持っていた人の死でしょう。CはAとの関係で存在し得るので、それとの正しい関係を外れると自分を失うこととなるが、そうなったからといってAの音は何も失うものがない。たしかあのとき死んだ女性のおばあさんが「A子さんは悲しまなくてもいいのです」とか言っていたと思います。A子にできるのは、おじいさんに馬を買ってあげたり、小学校にピアノを運んだり、不均衡をあがない調和を回復することだけ。そのたびに不幸になったり幸せになったりするのは、その不均衡に苦しんでいたり、それが償われるのを身をもって体験したりする人、あるいは小学校の方で彼女の方ではない。さて、ではどちらがユートピア(ノ)にいるのでしょうか? 幸せや不幸になれる人か、それとも、そうはなれないけれどそうさせてやれる人か? ピアノか音叉か?(2001年10月31日、ギルバルス) 

Q17:「四季・ユートピアノ」で榮子はAの音叉を用いていますがその意味はなんですか。 
A1:赤ちゃんがこの世に生まれでてきて、最初に泣く声の高さは、Aの音、このことは、佐々木氏はいろいろなところで話したり書いたりしています。UNIVERSAL A、普遍的なA音として。あのドラマとは、実は関係深い話なのです。(2001年11月7日、JAN) 
A2:A音の普遍性に加え、図像のAもちりばめられていますね。パースペクティブの線路、父の登った鉄塔。これらはAに見えます。(2001年11月8日、MARU) 
A3:「1985.4.21 公明新聞 日曜版」で佐々木氏が書かれていること−−−−「A音」について、などなど−−−−(2001年11月13日、おおにし) 
A4:音叉と「榮子」の由来については、多摩シネマフォーラムHPの第11回映画祭プログラムの右欄「詳細」の佐々木氏本人のコメント中にも触れられています。(2002年1月30日、buki) 

Q18:「四季・ユートピアノ」で榮子は、海岸でラムネのビンを割ってかけらを画帳にはさんで走っていきます。あのかけらの数に意味はありますか。 
A:あれは、3つでしょうか。4つでしょうか。兄、母、父、(榮子)。(2001年10月29日、宮田虎彦) 

Q19:「四季・ユートピアノ」で「日記をなくした」、とはどういうことなのでしょうか。 
A:16年続けた「音の日記」をなくし、16年が甦りますが回想が現在に追い付く場面が音楽で示されています。日記をなくした、といっているところでの音楽がのちに再現される箇所があります。(2001年11月8日、MARU) 

Q20:「四季・ユートピアノ」で家具が売られるとき、バイオリンケースも荷台にありました。後に道具箱として使われているバイオリンケースは同じもの(買い戻した?)なのでしょうか?それとも、のちに別に求めたものなのでしょうか。 
A:私は後者だと思います。するとなぜバイオリンケースが道具入れなのか特別な意味を持ちます。(2001年11月8日、MARU) 

Q21:「四季・ユートピアノ」で家具が売られるとき、鏡を荷台から盗みます。あれはなんですか。また、その代わりに投げつけるものはなんですか。 
A:「創るということ」にある「四季」のシナリオ見ていたら、荷台に投げるのは「野の花」でした。鏡のことは「母のかたみの手鏡」とありました。(2001年11月12日、MARU) 

Q22:「四季・ユートピアノ」で馬を買い戻すため、酒場で稼ぐシーンが、何故、2度もあるのでしょうか。(2001年11月30日、ギルバルス) 
A:2度出てくるのは、単発トピックではなく、酒場での仕事がある時期継続しているということを示していると思います。もし、1回だけなら、1回のバイトで馬を買いもどしたようになりませんか?また、ラムネのビンの破片の美しさに反応する榮子の日常が、酒場でのバイトにいささかも影響されていないという日常とバイトの対比も強調されます。(2001年11月30日、JAN) 

Q23:「四季・ユートピアノ」で馬を買い戻すため、酒場で稼ぐシーンでA子は着物を着ています。どうして? 
A:佐々木さんの「四季・ユートピアノート−シノプシス(ドラマ1984.12)」では、「榮子は買い戻そうと決心した。亡き母の着物を着て、学校に行きながら、夜、榮子は酒場で働いた。貯金ができた。馬を買い戻した。榮子は17歳になっていた。」と描かれています。亡き母の着物を着て−これ、皆さんどう思います?私には、お守りの様な、心の支えを身にまとって−と考えたいですね。(2001年12月3日、げんまろ) 

Q24:「四季・ユートピアノ」で、最後、裸電球の下で馬を買いもどすために稼いだお金を数えるシーンが再現されます。どうして? 
A:そこからは、働くことの尊さが「人の望みのよろこび」と深く結びついて伝わってきます。馬を買いもどすために働いて得たお金は、おそらく榮子にとって生まれて初めて自分で働いて得た貴重なお金だったのだと感じました。(2001年12月3日、JAN) 

Q25:「四季・ユートピアノ」に出演されていた宮さんとはどんな方ですか。 
A1:「宮さんのピアノ調律史」を読みました。211頁第二版あとがき(平成二年)によると宇都宮信一氏は初版出版の九か月後に帰らぬ人となってしまわれました。「四季・ユートピアノ」撮影時のエピソードのみならず、さまざまな人物像が個性的に描かれ、明治大正期の風俗あり、関東大震災という大事件あり、ピアノをとりまく技術的な話ありと思い出話は多岐にわたります。原稿はテープから起こしたという予備知識がありましたし、それに加え小型の版型(B6版でしょうか)なので軽い読み物的な印象を正直持っていましたが、このサイズで展開できるとは思えないような、著者の人生の厚みを感じる、読みごたえある内容で、堪能しました。もともと「四季〜」出演をきっかけにこの本を書くことになったらしいですが、序盤から時々登場する中尾幸世さんに関する記述を見ても宮さんの愛情がみてとれるようです。調律関係の人達には読みつがれているのかもしれませんね。(2001年6月16日、buki) 
A2:ユートピアノにも出てくる(A子が就職を断られてしまう)調律センターが、宮さんのお店です。今も同じようにあります。A子に紹介状を渡していた人が宮さんの息子さんで、現在の社長さんです。(2002年2月1日、Hiroto Yoshimori)

Q26:調律師界で「宮さんのピアノ調律史」の知名度ってのはあるんでしょうか。(2002年1月31日、buki) 
A:浜松の調律師学校に小さな図書室があり、そこに「宮さんのピアノ調律史」を偶然見つけました。僕はすごく驚いて、A子さんの話なんかを読んだものです。宮さんは調律師の世界ではさすがに有名です。でも若い技術者はほとんど知らないでしょう。佐々木昭一郎作品にしても、100人近くい た調律師の卵の中で知っているのは僕以外にいませんでした。(2002年2月1日、Hiroto Yoshimori)

Q27:「宮さんのピアノ調律史」の装幀はだれですか。 
A:中尾幸世さんです。(2001年5月14日、micchann) 

Q28:「四季・ユートピアノ」で宇都宮先生がトイレで榮子のスケッチブックを観ながら蝿を追うシーンは他との関連がうまく想像できないのですが。(2001年11月30日、ギルバルス) 
A:トイレでの蝿を追う手(うまく捕まえられませんでしたね)は、そのしばらく後に出てくる宮さんの手の不調(カレーのスプーンを落とす、ピアノ鍵盤を前に手を振る)の前哨でしょう。トイレからカレーまでは、例のしりとり的なイメージの連続で榮子の調律の日常がつづられています。この日常描写の額縁になっていると理解していました。でも宮さんが榮子さんの音の日記をトイレで勝手に読んでることは、少々違和感を覚えました。(2001年11月30日、JAN) 

Q29:「四季・ユートピアノ」はやたら人が死んでいく物語なのですよね。宮さんの死はどうして。 
A1:これは老人だから?(2001年10月25日、おおにし) 
A2:「四季」というのは、人生の4つの季節(青春、朱夏、白秋、玄冬)も表わしますから、宮さんの死は、たぶん、素直というか、自然な死なのでしょうか。(2001年10月26日、おおにし) 

Q30:「四季・ユートピアノ」で最初の方でマーラーの四番・第四楽章の歌、歌詞を変えて歌ってますよね?何回聞いても聞き取れないんですが。(2001年11月20日、とまと) 
A:1985年3月20日(水)  23:25〜25:10 海外版、エミー賞授賞式および解説つき(放送開始60周年記念・ドラマシアター) では、 
      夢は 風の中にきこえる 
      あの音。 
      虹色の 七つの音よ。 
      雪の日に 消えた 
      あの音。 
      風よ うたえよ 
      A(アー)の音から 
      アー 
      ララララ(リフエインされる) 
      ドラマの最後で、再びこの歌。ただし、「A(エー)の音から」と歌われる。(2001年11月21日、宮田虎彦) 

Q31:カノンや弦楽セレナードは確かに下降音(ドシラソファミレド)ですよね。でも「人の望みの喜びよ」はどうしても下降音とは思えません。だから「四季・ユートピアノ」で榮子がレコード店の店員に、「ララララララララ(ドシラソファミレド)というのが基本で、それがどんどんずっと続いていくような曲なんですけど」と聞くと、「人の望み」が流れて、「これだ!!」と言うのがわかりません。(2001年11月28日、リトルリバー) 
A:楽譜も調べたのですが、途中のコーラスが出てくる所で低音が「ドシラソ」と1小節ごとに動く以外は明確な所はありませんでした。しかし、ドラマの展開として「人の望みの喜び」から「I子」の望みを考え、そして「自分の望みの喜び」として故郷の小学校へピアノを送ることを決意するキーワードになっている曲と思います。ですから、この曲がここで出てくる必然性は有ったのだと思います。(2001年11月30日、OZ) 

Q32:「四季」「川の流れ」のどちらでも、でてくる「赤いサラファン 縫わないで わたしは お嫁にゆきません〜♪」という曲はなんという曲ですか?
A1:有名なロシア民謡の「赤いサラファン」です。「緋色のサラファン」が正しい邦題だという事です。「赤いサラファン」の方が一般的ですが、ご年配の方に「緋色のサラファン」と仰る方が多い様です。私が入手した限りでは、日本語楽譜の多くが「緋色」と表記されていました。ロシア民謡の日本語演奏の本家本元、合唱団白樺の中山英雄さんの「ロシア民謡−秘宝の玉手箱」という記事がありました。「誤解されているロシア民謡」、「ロシア民謡の誤訳」等、面白い記事です。なるほど、「赤い…」は民謡では無いんですね。(http://www.kt.rim.or.jp/~shirakab/article/zassi1999.html) (2002年5月31日、6月2日、げんまろ)
A2:「緋色のサラファン」が正しい邦題というよりは「赤いサラファン」のタイトルの方がよく知られているようです(検索をかけても「赤い…」の方が圧倒的に多い)。ロシア語の原題(クラスヌィ・サラファン)でも「赤い…」という訳の方が合っています。19世紀のロシアの歌ですが、正確には民謡ではなく、ロマンスという分野の歌だそうです。日本でよく歌われている津川主一氏の訳詞では、母が歌う詞になっていますが、原詞では嫁入り前の娘が「サラファンを縫わないで…」と歌い、続いて母が「私も娘の頃はそういっていた」と返します。だからA子が歌っていた「赤いサラファン縫わないで 私はお嫁に行きません」は原詞に近い内容です。ちなみにサラファンとは、ロシアの農村の女性の民族衣装で、巻きスカートのような形です。この歌の背景、内容、ロシア語の原詞とその訳などは、ユーラシアブックレット17「マーシャは川を渡れない〜ロシア民謡のなかの文化」(伊東一郎著、東洋書店、600円)に詳しく書いてあります。(2002年6月1日、リトルリバー)

Q33:「ユートピアノ」のバリトンの声楽家は、「男はつらいよ 寅次郎頑張れ!」(1977年松竹)の大竹しのぶの兄役をやっているのでしょうか。(2002年8月1日、宮田虎彦)
A1:オペラ歌手で洗足学園大学教授の築地文夫氏さんですね。(2002年8月2日、OPER)
A2:築地さん、「男はつらいよ」第20作(寅次郎頑張れ)と第35作に出演されているそうなので、きっとご本人でしょう。(2002年8月2日、たからべ)

Q34:映画「翔んでる寅次郎」(1979)の結婚式の披露宴で歌っていらっしゃるのは、オペラ歌手で洗足学園大学教授の築地文夫氏の奥様でしょうか?(2002年10月10日、宮田虎彦)
A:

Q35:盲学校で2人の子が弾く連弾のピアノ曲の名前はなんですか?
A1:「チャップスティック」というそうです。(2002年8月14日、宮田虎彦)
A2:「チャップスティック」の作曲者は不明。「チャップスティック」とは子供が両手の2本の指で弾けるという意味らしい。箸のように。愛称「トトトの歌」と呼ばれるそうです。3連符の「ト トト」で曲が出来ているから。オッチョがトトトの歌を弾いたんだね。(2002年8月17日、宮田虎彦)

Q36:「四季・ユートピアノ」で使われた音楽のリストはありますか?
A1:BGMに流れている曲だけでなく、題名のわかるものは歌も入れてみました。(2002年8月19日、リトルリバー)
     1.冒頭、榮子が歌う歌「夢は風の中に聞こえるあの音…」
       マーラー交響曲第4番第4楽章の替え歌
     2.ドイツ学校で子供たちが歌う合唱
       クリスマス・キャロル(?)
     3.犬にボールを投げる。「犬と仲良くする方法。丸いものを持っていること」
       バイエルNo.94
     4.白いシャツを着た榮子が歩く。「春。音を見つけた」
       ベートーベン「ソナタOp.49、No.1 第2楽章」
     5.隣の電話ボックスから聞こえるトランペット
       「リパブリック讃歌」
     6.ミシンを踏む母。眠る兄妹。「4人家族。母、自分の鏡」
       マーラー交響曲第4番第1楽章
     7.教室で母と先生が踊る
       ヨハン・シュトラウス「美しく青きドナウ」
     8.着物を着た母が滝つぼに入る。「またひとつ音が消えた」
       マーラー交響曲第4番第1楽章の最後の部分
     9.机に向かっている榮子が口ずさむ。「え? 子守唄」
       「Are you sleeping 〜」(フランス童謡)
       (題名はいろいろあるそうです)
     10.父の夢。兵隊が走っている。
       ラッパの曲?
     11.父が火の見やぐらから下りてきたあと、再び走る兵隊。
       ラッパの曲?(10と同じ)
     12.燃える船。「またひとつ音が消えた。みんな風のようにいなくなった」
       マーラー交響曲第4番第1楽章の最後の部分
     13.「わたし、この歌、歌いたい」。榮子のハミングに続き、りんごの木にAの文
     字を刻む、祖父の馬車に乗る。
       マーラー交響曲第4番第1楽章
     14.乗合船に乗る榮子。「乗合船。片道3キロ、10円」
       バイエルNo.67
     15.一本道を制服の榮子が歩きながらハミング。男がついてくる。
       マーラー交響曲第4番第4楽章
     16.酒場のカウンター
       「ソーラン節」
     17.波打ち際を走る榮子。「88の音を微調整すること」
       バッハ「平均率曲集?」より 第1番 BWV846のプレリュード(2002年8月19日、ルーモサーノ)
     18.お風呂の中で榮子がハミング
       バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」
     19.くもの巣の前に立つ赤いハンテンの榮子
       「赤いサラファン」(ロシアのロマンス)
     20.榮子が列車に乗って旅立つ。座席の榮子
       マーラー交響曲第4番第1楽章
     21.冬の工場。「半年たった。工場がつぶれた」
       ショパン ノクターン第6番 Op.15.No.3(2002年8月19日、ルーモサーノ)
     22.川沿いのアパートに引っ越す。「引越しそば、食べようか」
       バイエルNo.67
     23.ピアノ調律センターで待つ間、ピアノを弾く榮子
       オースティン(またはエステン)「人形の夢と目覚め」の出だし
     24.ピアノ調律センターから宮さんの家へ走る
       ベートーベン「ソナタOp.49、No.1 第2楽章」
     25.教会で調律。「調律が終わると、必ず自己流の和音で一曲弾く」
       ピアノ曲(オリジナル?)
     26.盲学校で2人の子が弾く連弾
       「チョップスティック」(メキシコ民謡?)
     27.象に乗る榮子。サーカス小屋のスピーカーから流れる曲
       「ラグタイム」
     28.サーカス小屋で調律する
       バッハ「平均率曲集?」より 第1番 BWV846のプレリュード(2002年8月19日、ルーモサーノ)
     29.サーカスの舞台
       スコット・ジョプリン「ザ・エンターテイナー」
     30.榮子の夢。ピエロ姿の榮子。「春よ来い。夏よ来い。冬はあっち行け」
       「太陽たたきの歌」
     31.オペラ歌手の家。夫婦の二重唱。
       「ガンジス川に陽は昇りぬ」
     32.サリーを着た榮子が歌うインドの歌
       「酔っ払いの歌」
     33.自転車に乗る榮子〜映画館に入る宮さん
       ベートーベン「ソナタOp.49、No.1 第2楽章」
     34.横浜大桟橋。ブラスバンドの曲
       スーザ「美中の美」
     35.船のピアノを調律。
       スコット・ジョプリン「ザ・エンターテイナー」
     36.船のピアノの調律を終えて、確かめる曲
       「マイ・ボニイ」
     37.船の出港。ブラスバンドの曲
       スーザ「美中の美」
     38.宮さんがいなくなった。榮子が吹くハーモニカ
       「蛍の光」
     39.トンネルの中を榮子とケンが歩く。榮子がハミングして耳を確かめる。
       マーラー?
     40.レコード店に流れている曲
       さだまさし「関白宣言」
     41.レコード店で探した曲を見つける。「これだ!」
       バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」
     42.小学校のピアノを調律。「アイコの音叉で調律」
       バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」
     43.赤い半纏の榮子が電球に手をかざす〜踏切を背にピアノを押す
       ベートーベン「ソナタOp.49、No.1 第2楽章」
     44.ピアノを貨車に乗せて送り出す
       マーラー交響曲第4番第1楽章
     45.高校の生徒たちの合唱
       ベートーベン交響曲第9番第4楽章
     46.ラストシーン。涙を流す榮子の顔。「夢は風の中に聞こえるあの音…」
       マーラー交響曲第4番第4楽章の替え歌
A2: まてぃあさんのページ( http://matja.muuz.net/~matja/ )でまとめてあります。 (2002年9月17日、まてぃあ)
 

Q37:国内版と海外版で使われた音楽の違いはなんですか?
A1:映像に関しては、各シーンを少しずつ少しずつ削って、90分の国内版にしているんですね。MEは国内版とほとんど同じですが、以下が若干違いました。(2002年8月19日、リトルリバー)
      14.乗合船のシーンにバイエルは流れていません。
      15.一本道を歩いている榮子はハミングしていない。よく見ると黙って歩いている。だからアフレコでマーラー4番のハミングを入れたんでしょうね。
      20と21の間、ピアノを磨く榮子に大川さんが「よく磨いて」というシーンの後、榮子がバッハのプレリュード(17と同じ)を弾くシーンがある。
      22.「引越しそば、食べようか」のシーンにバイエルは流れていません。
      41.レコード店で「これだ!」と見つけた「主よ、人の望みの喜びよ」は、国内版はオーケストラ、海外版はオルガン。
 

川の流れはバイオリンの音

Q1:『川の流れはバイオリンの音』のA子の「歩くバイオリンの絵」って、松谷みよ子さんの『ふたりのイーダ』という童話の映画の老いぼれた椅子が、イーダを探して歩き回るシーンを思い出させませんか?(2001年12月16日、宮田虎彦) 
A:微音空間2のnoriさんからいただいた「川の流れはバイオリンの音」の英語版のシナリオ、 には確かにあったはず。(2001年12月18日、あおせ) 

Q2:佐々木氏の文章を読んでいると「川の流れ」も国際版があるそうですが、これって、かなり違うんでしょうかね。長さは同じ様ですが。(2002年5月13日、げんまろ)
A:話をややこしくして申し訳がないのですが、85年にピッコロ・フューメで上映会をした時は佐々木さんから中国語版のテープも送られてきていました。これはどんなのかと言うとA子がしゃべった後中国語で声だけ入るというものでした。手許の資料によると日中テレビ祭が84年の1月18日から27日まで、北京、瀋陽、上海の各都市で開かれました。川の流れはバイオリンの音もこれに参加していて、その時に作成されたものではないかと思うのです。タイトルを直訳すると、「流水声是小提琴的旋律」で中国側の用意したパンフレットには意訳されて「流水似琴音」です。(2002年5月13日・14日、nori)

Q3:「No Importa Destino.」とは。(2001年10月22日、buki) 
A:これは昔放送を見た時の耳コピですが、たぶん合ってると思います(ノ・イン(m)ポルタ・デスティーノ)。記憶だと、川シリーズのどれか(アンダルシア?)で、A子が小屋に泊まっていた時に、ジプシーが窓からのぞきこみ運勢をみてやろうかと言って、それに対してA子が答えた言葉。英語にするとno はnot、importa は≒important、destino はdestiny。で文章としての翻訳はイメ−ジを損なうといけないのではばかられますが、そういえば字幕ってあったっけ?。 "no importa"は慣用的に「気にしない」とかいう意味あり。(2002年1月30日、buki) 

Q4:「川の流れはバイオリンの音」の登場人物について情報はありますか?
A:バイオリン職人:マエストロ石井こと石井高さんのエッセイ「クレモナの工房から」第2回と第6回に、居酒屋の主人として(実際そうなのですが)登場するビッジョとの深い交友が描かれております。バックナンバー目次 http://www.japanitalytravel.com/back/ye_top.html、2000年10月から2001年3月までの連載だったようです。(2002年5月13日・14日、buki)

Q5:『川の流れはバイオリンの音』で少女がバイオリンを弾いている場面がありました。バロック調の弦楽で、少し疲れたような、もの憂い感じの曲。
4分の4拍子。弱起の曲。〔(ト)は8分休符の意味。〕
      (ト)ミ(低)ミミミ(高)ーミミ レミレドシーソー ーーーー 
       ラシラレ(低)ラードー     シーーーー 
      (ト)ミ(低)ミミミ(高)ーミミ レミレドシーソー ーーーー 
       ラシラレ(低)ラードー     シーーーー 
       レミレドシードド シララ(♭)ラ(♭)ラーシー ーーーー
       レドシラソーファー ミーーーー
一文字は8分音符。ーは1拍を表わします。カッコ書きは、前の音の性質を表わします。この曲をどなたかご存知ですか?(2002年4月15日、宮田)
A:イタリアのバイオリン教本の練習曲なのだろうか?(2002年4月27日、宮田)

Q6:「川の流れはバイオリンの音」で使われた音楽のリストはありますか?
A1:番組で使われた音楽をピックアップしてみました。あくまでもBGMに使われた曲で、ルイジやアントニオたちが歌った歌などは除きます。(2002年6月2日、リトルリバー)
  1.冒頭 A子が歌う「ラララ・・・」に続いて
        ヴィバルディ「四季」より「冬」第2楽章(以下「冬」第2楽章)
      2.トラッツォに上る
        クライスラー「美しいロスマリン」
      3.妹への手紙〜お金を数える
        ヴィバルディ「四季」より「春」第2楽章(以下、「春」第2楽章)
      4.みつばちの樹脂を買いに行く
        イタリアの民謡「ポー川のポプラの木」(“ウララー”という合いの手が入る歌)(2002年6月3日、げんまろ)
      5.ルイジの似顔絵を書く 「パリへ新婚旅行へ行こうか」
        「春」第2楽章
      6.アントーニオの工房に下宿する〜レコードに針を落とす
        ジリオラ・チンクエッティー「雨」
      7.テレーザの果物屋へ自転車で行く
        ピアノ曲 ベートーベンのソナチネ(2002年6月3日、げんまろ)
      8.助役さんがバイオリンで弾いている曲
        ヴィヴァルディの「ささやく木の葉の風」(2002年5月31日、6月3日、げんまろ)
          ヴィバルディ「調和の霊感」第11番 作品番号3の11の第二楽章(2002年6月3日、OZ)
      9.バイオリンの設計図〜「うずと狩人に注意しなさい」
        「冬」第2楽章
      10.ジプシーの弾くチェンバロ
        不明
      11.マリオと歩く〜山羊をつかまえる
        「美しいロスマリン」
      12.「アルコバレーノ!」〜マリオと別れる
        「冬」第2楽章
      13.川の物語の絵〜筆で川をたどる
        「冬」第2楽章
      14.チェザレの似顔絵 「君はジョコンダに似ている」
        「四季」より「冬」第3楽章の途中の曲
      15.ろうそくを持ったジプシーの夢
        「春」第2楽章
      16.ルカが見守りながら調律する
        A子のオリジナル(「四季・ユートピアノ」で「調律が終わると、
        必ず自己流の和音で一曲弾く」というシーンと同じ曲)
      17.ドナウ川を走る
        「美しいロスマリン」
      18.パイプオルガンの曲
        不明
      19.時計の刻む音に合わせて歌う「ラララ・・・」に続いて
        「冬」第2楽章
A2: まてぃあさんのページ(http://matja.fc2web.com/)でまとめてあります。 (2002年8月8日、まてぃあ)

Q7:2002年10月10日テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」15周年記念「世界のものづくりは今」で、クレモナのヴァイオリン作りが紹介され、「ストラディヴァーリ」とその伝統を守るヴァイオリン職人の父子が紹介され、そのあとクレモナ市庁舎でストラディヴァリウスを弾くクレモナ市ヴァイオリン担当、アンドレア・モスコーニ氏が紹介されていました。ひょっとして、この方は「川の流れはバイオリンの音」でストラディヴァリウスを弾いていた方でしょうか?(2002年10月11日、あのにます)
A1:そうです。月刊ドラマ1984.12によりますとP153のスタッフとキャストのリストに名前があります。(2002年10月11日、双調)
A2:25年近くたってますが同じ方ですよね。(2002年10月11日、ぽぽろん)
A3:少しやせられたかなあと、拝見しました。横顔が厳しく見えました。白髪も増えていたように。(2002年10月11日、宮田虎彦)

Q8:「クレモナ症候群」てなんですか。 
A:この病気は、テレビ画面の楽器屋も石畳の道もパン屋も果物屋も、見た瞬間、画面の下に”クレモナ”とテロップがでないか、見逃したら駄目だぞ、と緊張します。違うと判るまでちょっとした緊張状態が続き、後は安心して日常の生活に戻ります。25年経過しようが、関係ありません。もしかしたら、”197X年のクレモナ市街”かもしれないからです。25年経てば、日本の風景は変わってしまうことは、私も、双調さまもげんまろさまも、嫌というほど経験済みで恐れています。でもクレモナは違うぞ、と考えます。この病気は、死ぬまで治りません。悪い毒に当ってしまったのです。(2002年10月12日、宮田虎彦)
 

アンダルシアの虹

Q1:「アンダルシアの虹」の国際版と国内版の違いはどこですか。 
A:国内版と国際版では5分の差があったはず。1984年3月24日にNHK番組を見る会で上映されたのは、81分30秒の字幕なしの海外版でした。つまりスペイン語のセリフの場面でも字幕がなかったのですが、字幕なしでも十分に伝わってきました。上映後の佐々木さんの話によると、海外版の方がはるかに出来はいいし、音もよく録れているということでした。(2001年7月9日、リトルリバー) 

Q2:「1+1=1」とは。 
A:「アンダルシアの虹」の中で、A子が、「1+1=1。手を取り合うこと」と少年に教えています。また、最近の佐々木氏のコメント(http://www.bunkyo.ac.jp/koho/join/pages/39/jkoza39.html)にも見つけられます。(2001年4月23日、コストダウン) 

Q3:「アンダルシアの虹」の「自転車」と「ロバ」に込められたメッセージとはなんですか。(2001年10月27日、角田博英) 
A:?? 
 

春・音の光

Q1:「春・音の光」のメインテーマに使われている曲はなんですか?
A1:チャイコフスキー「弦楽のためのセレナーデ(ハ長調 op.48)」の第1楽章です。(2002年2月4日、げんまろ)
A2:劇中の音源は、エンドタイトル字幕では演奏スロバキア・フィルハーモニーとあるだけですが、月刊ドラマ1984年12月号の153頁には指揮ロベルト・スタンコフスキー(そう、劇中のロベルト!)となっています。このドラマのためのオリジナル音源ではないかと思います。(2002年2月17日、げんまろ)
A3:あくまでも「春・音の光」の演奏にイメージが近いのでは…という観点から選び直すと、小澤征爾指揮、サイトウ・キネン・オーケストラ(PHCP-21009 \1800)が、癖のない中庸な演奏で音も良く、ベストかと思います。入手も容易でしょう。
 

オーディオドラマ

Q1:幸世さんってかなり昔のことなのですが、NHK FMの二人の部屋という番組で、寺山修司原作の童話(名前忘れた)を朗読されてた方とは違いますか?(2001年5月14日、tel) 
A:そうです。くわしくは、「微音空間」の「オーディオドラマ」を参照の事。なお番組は「赤糸で縫いとじられた物語」「同パートU」です。 

Q2:「ラジオドラマを聴く集い」ってのをインターネットで広く告知してやってみることはできるのでしょうか? 
A:NHKに電話しまして話をしました。担当の方から親切に権利関係や開催形態について教えていただきました。ただ、結果としては開催するのは不可能に近いということでした。一応、費用なども細かく教えていただけたのですが、個人や数人のグループではとても開催は無理でした。(2002年1月26日、あおせ) 

Q3:ラジオドラマで中尾さんと最多共演?されている、倉崎青児さんの情報はありますか? 
A:誠実な雰囲気が印象的でしたが、俳優活動もされていますよね。以前昼のテレビドラマが終わった後、クレジットで名前だけ見かけました。北野武「キッズ・リターン」にもエンドロールに名前があったので、声を頼りにくまなく探したつもりだったんですがついに発見できず。私の勘違いでしょうか。彼も謎の人です。(2002年1月30日、ちな) 

Q4:オーディオドラマの「天の記憶」の最後で、「いいえ、あなただって星じゃない!」の「いいえ」のアクセントは、どう解釈しますか。 
A:方言じゃあないよねえ。(2001年8月16日、宮田虎彦) 

Q5:オーディオ・ドラマ『天の記憶』に登場する「カミオカンデ」ってなんですか。 
A1:岐阜県神岡鉱山の地表下1000mにある、ニュートリノ観測実験の設備です。宇宙線などによるノイズの影響を避けるため、北アルプスの地下深くに設置されています。元は陽子崩壊を検証するため1982年に作られましたが、1987年遠くマゼラン星雲からやってきた超新星のニュートリノを検出して有名になりました。太陽からのニュートリノを観測する他、茨城県つくば市の研究所から発射したニュートリノを検出する実験もしています。2001年11月、さらに大型に作られた「スーパーカミオカンデ」で光電子増倍管という検出器が多数破損する事故がおきました。 
http://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/doc/kam/kamiokande_j.html
A2:カミオカンデをつくった小柴昌俊・東大名誉教授は「天体物理学とくに宇宙ニュートリノの検出に先駆的貢献をした」という理由で、2002年10月、ノーベル物理学賞を受賞しました。

Q6:『天の記憶』のチェレンコフ光は青白いそうですが、本当にあるのでしょうか。 
A:通常、「光速」は極限値で、光以外の粒子はその速さを超えられません。しかし物質(カミオカンデでは水)中では「その物質中の光速」になります。そこをほとんど光速の粒子が通過すると、光速を超えて進むことになります。このとき音速を超えたジェット機が出す衝撃波のように出てくる光がチェレンコフ光です。原子力発電所の冷却プールが青いのはこのチェレンコフ光のためです。1999年東海村での臨界事故では眼球中でチェレンコフ光が発生したらしいです。 

Q7:「天の記憶」で、中尾さんの役どころの女性の部屋に掛けてある絵の作者「ありもととしお」はどんな方ですか。「38歳で死んだ画家」「中央に女性が居て、周りを8個の紙風船が舞っている絵『部屋の星座』」「絵の中の女性の眼は何も見ていない」というセリフがずっと気になっています。 
A1:「有元利夫」です。バロック音楽のCDのジャケットになっていたりと、無意識で目に入っていた絵を書いていた画家です。どこか中世ヨーロッパ絵画を思わすような静寂感や懐かしさが漂う絵だと思います。芸術新潮2001年11月号にも「有元利夫」の特集が組まれています。(2001年11月19日、OZ) 
A2:「日経ポケットギャラリー」は小さいですけど有元氏の言葉も載っているので興味深く見られると思います。その中からひとつばかり…「ほやほやの出来立ては苦手です。…風化したものが好きです。風化するということは物が時間に覆われるということで、時間に覆われる事によってそのものの在り方は余計強くなる。時間に耐えて風化してそれでも「そこに在る」という存在感はピカピカの出来立てとは較べものにならないくらいの存在感というか、リアリティを持っているように思えるのです」『部屋の星座』という絵は「風船」というより「小さな球」のような感じです。(2001年11月20日、とまと) 
 

朗読会

Q1:2001年8月のいわき、森美術館でのコラボレーションで中尾さんが読んだ本はなんですか。 
A1:安房直子さんの童話「ある雪の夜の話」。(安房直子資料館 http://www.redbit.ne.jp/〜suzu/mona/によれば『南の島の魔法の話』の中の一片のようですね。現在販売されていないようです。)絵本「ぼくにげちゃうよ」ほるぷ出版刊。ブラウン女史の絵本「おやすみなさいおつきさま」。「ちいさな島」ゴールデン・マクドナルド(マーガレット・ワイズ・ブラウンのペンネーム)童話館出版。「おくのほそ道」「蕪村句集」 
A2:「ぼくにげちゃうよ」(1942年)は、「タゴール詩集」に《新月》(1913年)という詩集からの抜粋があったのですが、両方の着想がそっくりなんです。これは…たぶん中尾さんは十中八九ご存知でしょう。だから、あの本の「上演」に納得したんだと思います。(2002年4月8日、角田)

Q2:2001年8月のいわき、森美術館でのコラボレーションで中尾さんが持参された「琴」はなんですか。 
A1:中尾さんは特注したという琴を持参されました。朗読の間、実際使われることはなく、本人も朗読会終了後、使う機会を逸したと言っておりましたが、雑談の際に爪弾いてくれました。音は、木村弓のドイツの竪琴に近い感じ。琴の種類や誰が作製したかなど聴き取れませんでしたが、外観は、白木の感じで羽根ペンのようなもので弾いていました。大きさは、1000mm×400mmぐらいかな。弦は4本?(2001年11月5日、ギルバルス) 
A2:『川の流れはバイオリンの音』で、あれは、三人組のジプシーでしたっけ、ピアノとかチェンバロの先祖だったかと記憶していますが、真ん中で奏でられていた楽器、・・・を小さくしたような楽器でしたね。そう、森美術館での朗読の後、中尾幸世さんがどなたかと話していらっしゃるのを聞くともなしに、耳をそばだて・・・、いえ、小耳に挟んだ話ではロバハウスでもとめられたとか、ロバハウスのサイトを覗くとプサルテリー、もしくはサントゥールというらしいです。(2001年11月7日、あおせ) 
A3:サントゥールはインドの楽器のようです。(2001年11月7日、RAB゛E) 

Q3:2002年3月31日森美術館で行われた「春の音・色」で中尾さんが朗読した、岡倉天心とインドの女性詩人との有名な往復書簡『宝石の声なる人に』は読むことができますか?
A:中尾さんも「今は図書館に行かないと無いのではないか…」と仰っていたのですが、調べてみると平凡社ライブラリーとして文庫版(ISBN:4582762212 800円)が出てました。97年刊で、入手可能なようです。(2002年4月4日、げんまろ)
 
 
 

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2002年11月10日:2002年11月10日までを追加。誤字など校正。
2002年8月19日:2002年6月7日までを追加。 項目別に並べ替え。
2002年2月17日:Qに通し番号を付加。QやAに色を加。発言年月日、ハンドルを付加。Q74以降を追加。 
2001年12月23日:作成