ごく最近学生時代に開いた佐々木昭一郎さんの作品上映会の資料が手許に帰って来た。そこには作品を通じて人々が集まり企画し関係者への取材 パンフレット チラシ ポスターを作成し宣伝活動などを経ていざ上映、そしてその後のレポート等の数々の記録が残されていた、上映会はPART1
PART2の2回に渡って行われ特にPART1では佐々木昭一郎さんPART2では中尾幸世さんを招いての座談会では会場に入りきらない程のファンが集まった。
予想を大きく上回る関西圏での人気にスタッフ皆圧倒された。 京都大学映画部の荒田 伊藤そして同志社大学の木本の三人でスタートしたこの計画には主催グループ名として 川の流れはバイオリンの音 の台詞から引用してピッコロ・フューメと名付けられた。 PART1終了後も吉見 西村とスタッフは増え続けPART2
では何倍もの機動力で活動した、中でも佐々木氏の毎日芸術賞の授賞式、中尾幸世さんの出演交渉でスタッフが夜行バスに乗って京都から東京まで7時間かけて行き東京都心の日の出で眼が覚めた時の期待と感動は今でも心に焼き付いています。 東京では映像カルチャーセンター
などで佐々木氏の作品は上映されていたが関西では観れないものか視聴者・作品・作者が集まって新しい視野から観れないかが課題だった、NHK京都放送局には共催として付いてもらい宮沢さん奥野さんら局員と話し合った。 東京と一口に言っても広いから関西ではどれだけの人が観に来てくれるか厳しいことも聞かされた、しかし時期として川の三部作が発表されたばかりの時だったので関西でも潜在的なファンがいると粘った。 幸いにも佐々木氏もたくさんのマスコミ関係の方を紹介してくださり新聞各紙にも情報が乗り日本中からのレスポンスがあった。 残念なことも有る当時1本だけ上映できない作品があった、今は再放送されている夢の島少女が上映できる形に無かったのです、私個人としてはこれを上映して初めて完結すると思っているのでPART3の夢は捨ててはいないのです。 |