トーク後半です。

司会: お待たせしました、これより後半のトークを始めさせていただきたいと思います。今度は佐々木昭一郎さんを交えての御三方のトークになりますので、どうぞ皆様大きな拍手お迎えください。 (拍手)
佐々木: 一言、えー、遠方から、……ありがとうございます。
(笑い)(拍手)
司会: それでは、よろしく御願いします。
是枝: よろしく御願いします。
佐々木: どうも
是枝: あの、なるべく早く僕の司会は終らしてですね。
(笑い)
是枝: そのあと30分ぐらいで、で客席にマイクをお渡ししますので、あとは御2人と皆さんとで質疑応答という形にさせて頂きたいとおもいますので、僕が質問できなかった所はみなさんが是非聴きたいことを自分で聞いていただければと思います、よろしく御願いします。  はい、で、あの今日2本「夢の島」と「四季ユートピアノ」と、今ちょっとだけ「川の流れはバイオリンの音」を上映させていただきました、全部で5本中尾さんと作品を作られて。ですけども、さっき中尾さんにも御伺いしたんですが、最初に会われた時、中尾さんでいこうというふうに決められたのは、どういう状況で、どういう決め手で?
佐々木: いろいろ考えなかったんですけどね、見てすぐ決めてます。
(笑い)
佐々木: それまで何十人に会っていたんですけど、そういう話題にはなんなかったんです。
初め僕一人で中尾さんにお会いしてその場で決めて、次にカメラマンの葛城さんに会ってもらったら『目から放射能が出てる』って、
(笑い)
佐々木: それぐらい、17歳にしたってね、ものすごい目付きだったですよ
(笑い)
佐々木: これは目の力を鍛えないとどうしようもないなと思って。で、僕はちょっとね茶色が入っているんです目(メガネを指して)に。太陽、このライトでも眩しいぐらいなんだけど、どうやって睨みを効かそうかな、なんて目の訓練したぐらいですね。
是枝: 負けないように。
佐々木: 負けないように。
(笑い)
是枝: まず最初に作品を拝見して、驚いたことが幾つかあって。その中のひとつで、表情のアップというか、顔のアップというものが作品の中に非常に印象的に登場して。
しかもそれが全く、なんて言うんだろう、感情を説明するという事とは違う形で、あるような気がするんですけども。
佐々木: そうですね、まあ撮影したのは葛城さんだから、彼に聞いてみるのが一番いいと思うんですけど。僕はアップを撮れとか、あなたもそうでしょうけどね、具体的に『アップじゃなきゃ駄目だ』『次は引きだ』なんて言わないですよ。
で『葛城どうだった』って聞くと『すごいな、目から放射能です』って、いつも言ってました。
(笑い)
佐々木: 目の力があるっていうのをそれまで僕はあんまり意識しなかったですよね、ラジオドラマ創ってましたから。存在っていうのは声しかないと思ってたんで。そのとき初めて映像に目覚めたっていうのかな、そんな感じですよね。なんかロクな答えになってないと思うんですけど。
是枝: その正面性と言うんですかね、正面に廻り込んで顔を撮ると言う事は、佐々木さんが指示を出されたわけではないんですか?
佐々木: まあ、真正面で撮ってくれってのは言わないですよ、葛城ですよ。
是枝: あ、そうですか。
佐々木: で、それからは、やはり人間の顔って、真正面か、横か、後ろか、そういう直角的な、鋭角的な、技術的な話ですけど…が、いいかなという勉強をしましたけどね。 あなたと同じだと思う。技術から僕は勉強できないので、カメラマンから逆に教わるって感じで、カメラマンの向こうに中尾さんがいるって、そういう関係だと思う。  
映像っていう物体を間にして、こう皆睨めっこしている、見つめ合うって言うのかなキザに言えば。
是枝: あの、最初に僕が佐々木さんの作品を拝見したとき思ったのは、ジャンルが判らないっていうのが一番最初だったですね。これは一体なんなんだろうかっていう、そのドラマと呼んでも……
佐々木: カテゴリーですよね。
是枝: カテゴリー、どうでも良い事かもしれないんですけれども、放送という形でこういうものが出来上がり放送されているという事にまず驚いたのと、そのことにすごく、『あっテレビでもこんな事ができるんだ』っていうとテレビに申し訳無いんだけれど、やはりその驚きが一番大きかったですね。
で佐々木さんは自分が作られているものに対してはカテゴリーという言葉はあれかもしれませんが、どういうものを、何を作られてるいうふうに思われてたんですか。
佐々木: えーと、取り調べを受けているみたいだなあ
(笑い)
佐々木: 僕、ラジオの出身なんですよ
是枝: はい
佐々木: で、今咄嗟に思いついたのはラジオのドラマを創ってた時代、長いこと演出助手をやってたんですけど、朝から晩まで、当時ラジオは花盛りだったから。でどうもね役者の存在が、こう演技マシンみたいで気に入らなかったんですよね。
それでデンスケって呼ばれる今でいえばカセットテープですけど、街へ出て作品何本か作ったんですよ。寺山さんともやりましたけどね、その時のクセがテレビに移って来たって感じなんです。 だからジャンルはその時からラジオってメディアでいいと思ったんで。まあラジオも危ない 時期だったから僕みたいなのが出てこられたんですけど、末期症状だったからですね。
テレビジョンも70年代で僕は「マザー」っていうのが最初の作品なんだけど、その時も、割合旧態然とした生放送時代が、こう、その尾っぽが切れそうな時だったんですよ。そこで僕は出てこられたんだと思って。 で、同時にドキュメンタリーやってる人達が僕好きだったんですよね、葛城の映像も知ってたし。それから萩野さんっていう人が「若い広場」という、やりたい放題の3番の番組をやってた。沖縄から少女が出てきてアパートを探して落ち着くまでの話なんか今でも思い出すんだけど……そういうスケッチ風のドラマだかドキュメンタリーだか、境界線無いと思うんですけどね、そういう同僚達の作品にも無意識のうちに影響を受けたんだと思います。 だけど、ジャンルが判らないじゃないかっていうのは何処行っても言われますね、外国行っても『これ何だ』『だけど映像なんだ』ってね。
だから映像。あなたの作品もそうじゃない?ですよね、逆に質問すると。
是枝: はい……はい、あの何とも呼ばれないようなものが出来るといいなというのは、やっぱり佐々木さんの作品を拝見したところから来ているのかもしれません。
佐々木: いや、あなた自身が築いてきたものだと思うけど。是枝さんの歴史をこう調べていくと、ああいうのが必然的に出てくるっていうのが判ると思いますけど。  
僕の場合はラジオなんですよね、ラジオドラマで、最初は作家福田善之さんだったんですが、それから宮元ケンと付き合って、また福田さんとやって。それから寺山に会って、寺山とも同じような事やって、それでラジオから30才のときテレビジョンに移ったんですよ。かなり若い時期にデンスケ持って苦労したということが身についたんですかね。  染み付いた……あんまりおもしろくない答えですみません。
是枝: いえいえ、先ほど中尾さんに御伺いしてたときに、その志木栄子の役柄と御自身との丁度どちらともはっきり言えないような不可分な部分、が作品に出ているので、それが演じているのか自分なのかと言われると非常に曖昧なところがある、という話しをされていて。 佐々木さんはそのあたりを、かなり意識的にというか、その不可分な部分を作品の中に持ち込んでみようというのは、演出としてかなり自覚的にされていた方法ですか?
佐々木: その、まあエゴイストだと思うんですけど僕は、まあ栄子っていうイメージあるんですね私の中に。で中尾さんの中に無いかもわからないですよ、それは聞いてみた事無いんですね。だからかなり苦労してると思うんですけど、どうですか?
中尾: ……
(笑い)
佐々木: 『栄子はこうじゃなきゃいけない』って言ったこともないんだけど、もうやってくれるもんだと思いますからね、だからその、その辺でギクシャクした事が撮影中あったかも判らないですね。 それはどうですか中尾さん?今はじめて、20年経って。
中尾: いや、でも佐々木さんの栄子に答えようという気持はいつもありました。
佐々木: ああ、やっぱりね、ほら。
(大爆笑)
佐々木: でかなりですね、いやカメラマン吉田さんなんかに聞いてもらうとわかるんだけど、睡眠時間も削ってどうでもいいような明日の場面なのに廊下で寝ないで僕はいたそうですよ。1日睡眠2時間ぐらいでも平気だったりして。是枝さんも多分あると思うんだけど。 そういうところに追い込んで、考えてたのかもしれないな。で演じた本人は一生懸命創られた栄子に合せようと、想像しようとしてくれたんだと思いますけど。 良くやった、すごい健闘してくれたと思いますよ、1年間。
いやもっとですね「四季」の場合。その、虚構と実生活、生活との境界線が、本当の生活の中で、自然に出来ていったんじゃないかなっていうふうに想像してるんですけど。中尾さんの場合、僕はあんまり強要しなくても……強要したのかもしれないですけどね。
是枝: あの「川の流れ」もそうですし、一般の人の顔が非常に印象的に登場すると思うんですね。で、それがさらに中尾さんがデッサンをされて、非常にその一般の人が印象に残る、顔が印象に残ると思うんですけど、あの人達というのは佐々木さんがロケハンで探されるんですか?
佐々木: 「川の流れ」はですね……あの「川」っていうのはずっとやりたかったんで、それ説明すると今日時間無くなっちゃうんですけど、とにかくロケハンに出たんです、ポー川のほとりに。その前にポー川のミシュランの地図を見ていたらイネが書いてあるんですよね、お米。でトリノなんて書いてあるんで、ああそうかこの辺シルバーラマンガの教えの苦いコメの地域だろうなと思って。ずっと指で辿っていったらクレモナっていうところが書いてあって、ストラディバリウスの生まれたところって……あこれだ!と思ったんだよね。
すぐ川とバイオリンていうのを結びつけて、現地に居る石井高さんってバイオリン作り―今世界的に有名な人ですけど―捜して電話かけたんですよ。
そしたら『いつでも来てください』って言うんです。それで台本は(現地を)見ないで書いて、送って。それで石井さんに会いに行ったら、そのミラノの空港でバイオリンケース持って待ってる。 それからずーっとクレモナに入っていって、石井さんのツテで友達に偶然会ったりしてると僕から見たら面白いわけで、じゃ俳優に使おう、出てもらおう、ということになり写真に撮っていった。
僕ニコン持ってたから。 日本に帰ってプロデューサーに見せて『この人達でいく』って言って台本書いた。すごい時間が無かったんですよ、「川」の場合。企画がOKになったのが急で9月の末。その前に「四季」でイタリア賞獲ったんです。
でオリルーの空港のトランジットホテルで、日本に電話掛けさせた。そしたら今からすぐビアデルガルダっていうイタリア賞が行われている受賞会場に行けって言うんだけど、安い切符で行ってるからお金が無いんですよ、僕ね。帰りはその次の便に乗らないと日本に帰れないので日本に帰って来ちゃったんだ。そんなこんなで偶然出会っちゃったって言えばいいですかね。  
中でも白い馬に乗って草を刈るおじいさんっていうのはイタリアでもめずらしい人なんだよね。ようするに世間の誰とも付き合わないんですよ、馬と牧草としか付き合わない。どういう人生送ってるのか聞きませんでしたけど。  
まあ、人を探しているときは出会っちゃうもんだなっていうような感じです。 中尾さんもそうだったし、普段中尾さんとすれ違ってもわかんないだろうけど。そんな事でいいでしょうか。 是枝:はい。あのセリフというのは、その一般の方達にはどういうふうに現場では演出をされるんですか? 佐々木:えーと、日本の場合は日本語だから簡単なんですけど。こういうような事なんだけどセリフはこうだとね。外国は練習をやらないと駄目なんですよね、だから一字一句全部書きましたよ。それでその場でまた変えるんですけど、言えない人がいるじゃないですか。そういうセリフを。
是枝: はい
佐々木: それから「川の流れ」に出てくるルイジさんなんていうおじいさんは、割合その人自身の人生を語る所が面白いんですよね。『俺はもう歳だ』今でも覚えてるんだけど『今日の天気のように憂鬱だ、あなたはいいな若いな』でなんて言うんだったかな……『この馬に乗ってパリへ新婚旅行に行こう』って言うんですよ、それはね僕は書かなかった。その人が考えたんですよ、だからそれは素晴らしい作家だなと思った。
それから、「四季」に話しを戻すと千葉で劇団やってる大川さんて人が出演してくれて、『ちょっとここで栄子とあったかい話しをしてくれ』って言ったらね、『ア、から始まるナントカを考えました、愛、ナントカ、暖か〜い』なんてのを彼が発明したんです。だからセリフで全部を支配したっていう事あまりなくて。
だけど、海外の場合は書かないとやってくれませんからね。それから海外は監督っていうのを、イタリアなんか尊敬してくれるんですよ。で、『どう思う』って聞くと、『もう監督の言う事を100パーセントその通りやります』って言うんですよ、素人の人でも。だから、特に、イタリア・スペインなんていうのは俳優だらけっていうような感じですよ、だれでも出演者になれる、まぁ厳選はするんですけどね。
是枝: あの、今日一番御伺いしたかったのは、一般の人を撮るという事についてだったんですけど、僕も一般の人と役者さんと両方作品作りをして、未だに思考試行錯誤してます。で、佐々木さん、その「創るということ」という本の中の文章、ちょっと読んでもいいですか?
佐々木: はい、どうぞ
是枝: えーとですね、『実生活者よりもさらにリアリティのある演者を、私はリアルピープルのなかから探し演じてもらう、やみくもに人物を選んでいるわけでもなく、また、実生活者その人の実生活にベッタリと友情を贈って、その人の事実に寄りかかり、その人との私的ドラマを描いているわけではない』っていう風に書かれていて、もうひとつ、別の所ではですね、『実生活者としてのリアリズムは面白いが、それを顕示した場合ドラマにならない。私のドラマは二重の構造を持っている、表現以前において、一つはその人自身、もう一つはフィクションを与えられて、その人自身のモノとなっている表現。私は後者に表現の全てをかける』というふうに書かれていました。で、あの……
佐々木: これ、20年前書いた本ですよね。
是枝: 非常に印象に残ってまして
佐々木: 今でも同じ考えですね、こうゆう文章を書いたのは忘れてましたけど、その通りだと思いますけど。例えば中尾さんという人に出てもらうわけだけど、中尾さんそのものじゃつまんないっていうか、あの何の表現にもならない、やっぱりフィクションを衝突させていく、技法的には。だけど内容的には今書いてあることは完璧ですね。これ。
(笑い)
佐々木: まあ苦しんで書いたかもわかんない、自然に書いちゃったのかもわかんないですけど、喋ったんだろうなこれきっと。で、宝島の大西さんていう編集者が写してくれたんですよ、私の言葉に。ホントこの通りですよ。だから次何か作品創れって言われてもこういう事になるんだろうね、またこれやりたいって事に。僕はやっぱり職業俳優ダメですからね。ダメっていうか、上手い人ほど上手く一緒にやれないわけ。難しいな……是枝さんの職業俳優はみんな良いと思った、「ディスタンス」見て。僕が職業俳優とやるとしたら何かなって今は答えられないですね、難しくて。考えるゆとりもないからですね、最近。 いや、だけど良いこと書いてますね、これね。
(笑い)
是枝: いや、ホントに自分で悩んだり、演出について考えたりしたときに、その自分が悩んでいる事をスパッと語っていて。
佐々木: どうも、ありがとうございます。
是枝: 非常に刺激と示唆を受けている本です
佐々木: 実は、この本出すとき編集者がですね、若い人の教育になるような事を念頭に置いてくれって言われたのを今思い出しまして……なんか説教がましくて嫌だけどね。だけどこれはいいなと思うな、ありがとうございます。是枝さんからこんなに誉められると思わなかったですよ、僕は。
是枝: ……
(笑い)
佐々木: 大監督から。
是枝: ……
(笑い)
是枝: 今日お会いになられるのは、あれですよね、お久しぶりなんですかね、御二人。
佐々木: 5年か6年、僕がNHK辞めたときパーティやってくれたんですね周りが。その時 来てくださって、それ以来、(中尾さんに)どうも……
(笑い)
佐々木: あの、犬飼ってるんですか、まだ?
(笑い)
中尾: 今は、飼ってない……っていうか…
(笑い)
佐々木: ウチはね女房が猫好きで、猫がいっぱい居るんですよ。
中尾: 好きですよ。
佐々木: あ、そうですか
(笑い)
佐々木: 中尾さんは動物、犬と対話ができるっていうの今思い出したな、中尾さんのウチ行くとシロっていう犬がいて、なんか話しをしてましたね。
中尾: ……
佐々木: いや、作品創らなくなるとですね、その関係の人と全然会わなくなっちゃいまして、もう6年あっという間に経っちゃいましたけど、こうして見るとついこの前みたいな感じですね、中尾さんも。今、何やってらっしゃるんですか?
中尾: 今は、主に朗読の方です
佐々木: こういう会場で朗読なさるんですか?
中尾: あの、もっとこじんまりとした、教会の中とか、個人の美術館ですとか。
佐々木: 教会の中とか
中尾: はい
佐々木: いいですね、朗読は苦手だと思ってました僕は、中尾さん。
中尾: 詩の朗読は得意です。
(笑い)
佐々木: いや「四季」、僕の作品ではミキサーが困ってたんですよ、声が小さくて。 だから、まあ、詩を朗読してもらえばよかったんだな、きっと。 中尾さんとスペインで撮った「アンダルシアの虹」でね、スペイン語の詩を読んでもらったんだけど、そこはクリアだったですよね。スペイン語の巻き舌の発音もできてたし。 中尾さんの声っていうのは、好きな人たくさん居てですね、是枝さんどう思いますか?
是枝: いや、とても印象に残ったんですね、最初作品を拝見したときに、声っていうのは。  声の響き方、多分録音の仕方っていうのもあるんだと思うんですけども。
佐々木: あの録音、録音も上手にとったのかもわかんないですね。
(笑い)
佐々木: いやいや、ごめんなさい。中尾さんの自然な声を良いマイクロフォンで的確に捕まえたんだと。是枝さんが中尾さんの声が気に入るっていうのはすごい事だなと思います。 2人で一緒に作品創ってください、ポスターの頭に書いておいたんですけど、どうも(二人は)合うなと思って。考えてみてください。
是枝: でも、あの、こういう状況で、『じゃあ中尾さんを』っていうのは、相当覚悟がいりそうな話しですよね。
佐々木: 簡単ですよ、中尾さんは、『頼む!』って言えばね
(笑い)
是枝: いや、その、やっぱり、佐々木さんとのコラボレーションで、これだけの作品を創られて来て、よっぽどなんか覚悟と自信がないと難しいというのが正直なところなんですけど。そのぐらい2人の個性が見事に一体化して一つの作品になって、それがやっぱり5本のなかで少しづつ変化されているような気がするんですけど。
佐々木: そう、それぞれ歳とってますからね。「夢の島」が1974年だから、最後のスロバキア何年でしたっけ、1983年ぐらいだったかな?撮影したの。足掛け10年やってるんですけどそんな長いと思わなかったですね。それぞれが自分の世界を持ってるから、そんなに長く感じなかったです。  最後の方は迷惑だったと思うよ中尾さん、勤め始めてからね。あの僕口説くの大変だったですよ、公文書出したりして会社に、えー、あのダイコウっていう広告代理店?
中尾: はい、あのダイコウでデンシと読みます
佐々木: はは、ダイコウに何回か足運びましたよ。高橋さんて課長さんが小説家なんですよ、この人。デザイナーであり、小説家で、中尾さんの才能大事だから『もう佐々木さん無理だよ』って言われて、最後は、スロバキアを最後に『もうこれで終わりにしてください』って言われた記憶がある。ですよね、あの高橋さん、高橋イッキさんっていう。
中尾: はい、よく覚えてます、良い上司でした。
(笑い)
佐々木: こういう状態ですよ
是枝: それは仕事を休まれて参加をするということですか
佐々木: 会社休んでもらったんですよ、とにかく三部作までは作ろうと思ったんで、中尾さんと一緒に。スロバキアの要望でもあったんですよ、「川の流れ」に出てるあの子で作ってくれっていう。
で、まんなかに入ったスペインはフランコの政権がちょっとゴタゴタがあって、スペインテレビそのものが、合作の予算なんか出せなくなって、そういう事で自主製作で作ったんですけど、「川の流れ」が出たと同時にスロバキアの話が決まってたんですよね。 だから勤めてからの方が大変だったかな、中尾さん引っ張り出すの。で『またかよ』なんて周りに言われてね。いや栄子シリーズでとにかく作るんだ3本までやるぞって言って、やったんですよ。 「リバー」はね100本ぐらい作りたかったんですよ、僕は。
(笑い)
佐々木: あの、月刊ドラマそこにあるけどね、名も無い川、小さい川、デカイ川、そこに誰か主人公が立てば創って見せるぞ、ってな事を周りにも言ったんですけどね。途中で「リバー」はやめてしまったんですが、また、今からやればいいのかもわかんないですね。
是枝: はい、是非
佐々木: スメタナの川に、僕は現地の人だれかっていうの挑戦してみたいですね。 ようするにチェコの川だったらフワフワの絨毯みたいな所から川が出発するんですよ、水を含んだ川のカイが流れて行って、最後はハンブルグ?あそこへ流れていくんですよね。
だから、こっちの河口の、源流の人はそこまで行った事がないんじゃないかと思って。 それじゃ企画になんないわけで、その嗜好をこらさなきゃいけないと思って、たとえばそういう事考えてたんですよね、で、中尾さんからも言われたりしてね『佐々木さん、もういい かげん他で考えてください』
(笑い)
佐々木: 言いましたよね
中尾: ……
(笑い)
佐々木: はっきり覚えてる僕。で、私のプロデューサーなんかもですね『うーん、「川」のようなもので次のをやれ』
(笑い)
佐々木: で、とにかくね受賞しちゃったんですよ、毎日芸術賞っていう大きな賞をこの作品で。個人賞の映像部門の、芸術撰賞・文部大臣賞ってのをいただいて。放送文化基金賞の個人賞、あなたも貰ったことあると思うけど。いっぺんに重なったんですよね、「春・音の光」のあとで。それで僕その意味を真剣に考えてですね、タカミチさんが僕に言ってくれたけど、ようするに『賞を貰ったら終わりだ、もうやめろって事だ』。そうかじゃ、やめよう。で、どういう事をやめようかってんで、この年に決心したのがね、もう賞は貰らわない、コンクール、芸術祭なんかも出さない、海外コンクールも出ない。そういうふうに決めたんですよ。 それから作品はどうして行こうかな、って色々考えて、自分自信振り返ってみたらですね、「マザー」って処女作なんですけど、でその次「さすらい」っていう「マザー」の兄貴みたいなの創って、まあ、お母さんから出てきたようなもんだね、偶然僕の母と父が結婚して、偶然僕が出てきたように、「マザー」も出てきたと。次も作ったと。三つ目はどうかなっていうような事で、結果的に「夢の島少女」で爆発。こうビックバンみたいな感じでとらえてますね、僕は。ビックバンがあって、その他の作品はまたそれぞれ独立した星がそこに出来てっていうような、都合のいいこと考えてますね。 で、半年ぐらい考えたんですよ『NHK辞めようかな』って。辞めても使ってくれるところ無いし、何やって食っていこうかな?そうやっている時に海外に行く機会があったもんで、僕にもそういう決心する時があったんですよ、『これはやめよう』とかね。で、1985年の1月1日だったんですよ、その受賞したのが。だから今から16年ぐらい前?ですか、それから受賞作なんて無しですね。 海外に出るようになってからこれはやっぱり大変なんですよね、この作品で「夢の島少女」や「四季」や「川の流れ」みたいないい感じのパラダイスは描けないなと思って、相手の局からもお金出してもらってですね……とにかくまあ予算的な苦労っていうがすごくて、こう、お金で苦労すると、色々ぼろぼろになっていくんだけど、それでいつの間にか変わったという感じかな。 まあビックバンがあったから、その他作れたと思うんですけど、まあこんな事いうの初めてなんだけど、後輩もいるしですね、若い人もどんどん出てこなきゃテレビ界も良くならなし……つまんない学校の先生みたいになってきた。
(笑い)
佐々木: えー、だから、海外はですねチェコとの合作が一番最初だったかな、「東京オンザシティ」っていうの作ったんですけど、僕わりあい気に入ってるんですよ、みんな気に入らないらしいけど。それからフィンランドで「夏のアルバム」っていうの作ったんだけど、これ僕好きなんですよね、もうフィルムあるかどうか放送以来見てませんけど。 まあそんな事で、ビックバンから派生したそれぞれの作品が、思い出の中には残ってるって事かな。
是枝: ぜひ、でも、新しい作品を……
佐々木: ああ、ありがとうございます、励ましていただいて。そういう声が挙がれば立ち上がりますから。でも、なかなか……3年前に病気したんですよ僕は。その頃テレビマンユニオンから「川シリーズ」のようなもの12本考えろって言われたんですよね。ところが予算が安いんですよ、一千万かな、どうやろうかなって社長とも相談しまして、すごいきびしいなって言ってた。まあ僕のやり方知らないからでしょう。でも企画が通ればなんとかなるだろうと思って、書き出したとたん病気になったんで断念しちゃった。今その気分続いてないですけど、まあ作ろうっていうこと考えたこと同じですね。 今日ここに来たのは別人の作品観に来たような感じで、正直言ってそうなんですよ。招いてくれた黒川さんって実行委員の方に言ったんですけど、『もう僕は歳とってるから、滅びていくだけなんだから、行っても意味無いんじゃないか』と、『是枝さんの若さと中尾さんが居れば持つよ』なんて事言ったんですがね……
(笑い)
佐々木: あー、とにかく創造的な事はまるでやってないんですよ、文章は書いてますけどね。そうそう、テレビマンユニオンの新聞にね、ある記事書かせてもらったんですよ。それを気に入ってくれた人が資生堂の社長さんだったんです。ヨシハルさん?えーあの蘭の写真で有名な人ですよ……で出版社が気に入ってるんで、これを書けっていうんですね。で出版社の人にも会って約束しちゃってから、もう5年も経つんですけど。
是枝: それは小説ですか?
佐々木: なんでもいいって言うんですけど、それがプレゼンテーションみたいなものだから、小説ってことは意識しないでいいから、書く約束をしてまだ果たしてないんで、それを一番最初にやりたいですね、真面目な話。映像は二の次で。
是枝: それは具体的にはどういう話し……
佐々木: えーとね、僕の少年時代の話しなんですよ、ただ、もう嘘ばっかり書いてあります、要するにフィクションですから、そのフィクションのなんかバネみたいなモノが内部から出てきたときに一気に書けそうな気がするんで、今タイミングをはかってるんですよ。  
病気から完治したのが今年の5月なんですよね、授業中に変なになっちゃったんです、3年前に。で、48時間治療が遅れてエライ目に遭って。教える方はもう何十年もやってるんだから、学生には『作れ』って言えば創造力を発揮しますからやれるんだけど、自分の創造っていうのは止めたんですよ。あの創造的な事を考えるとものすごい体が苦痛になってきて、でも、まあ治って来たほうで。ただ、どんどん歳とってくんですけど、体をジムで鍛えてるんでこんな太っちゃったんです。  
あの皆さん、今日はこんな集まってくださると思ってなかったんで、多分作れって言ってんだと思うんでやらなきゃいけないな……
(拍手)
佐々木: どうもありがとうございます。
司会: 全くその通りだと思います。ここに居る皆さんが全て佐々木さんの新作を待ち望んでいることと思います。長時間お付き合いいただいて、皆さんの中にもお聞きしたいことが沢山あるのではないかと思いますので、この辺で質疑応答の時間に移らせていただきたいと思います。よろしいでしょうか。
(了解)
司会: 佐々木さん、中尾さん、是枝さん、質問はどなたにでも受け付けますので、ぜひ手を上げてくださいますか。
A: どうも、あんまり大勢の前で話すのも苦手なんであれなんですけど、佐々木さんに質問なんですけれども、今日のパンフレットか何かに書いてると思うんですけど、複製文化への批判というか、そういったものをお持ちのように思えるんですけども、例えばあの私も昔は「四季ユートピアノ」であるとか佐々木さんの作品を、あのビデオのテープでどうしても欲しいとかいうことで、どこかが発売しないかなとか、そういう要望があったりしたんですけど。今の時代だとDVDであるとか、そういったものであとに残そとか、そういった願いをもっている人が沢山いると思うんですけど。私自身の考えとしては、たとえば私がそこに置いてある花が好きだとして、その花が好きだっていう行為の中で、DVDに残すっていう行為と比較してみると、その花は赤で葉が緑で茶色の…… それで目方がいくらで、データが残るわけですよね、そのデータを愛してるのか、そのデータが好きなのかっていうと、そうじゃないわけで、DVDに残す行為っていうのは結局データとして作品が残っていくわけで、以前佐々木さんに御伺いしたときに『私の作品に情報はない』という、そういう言葉を言われたことがあったんですけれども、昔、京都の上映会の時なんですけれど。
佐々木: あ、京都
A: ええ、
佐々木: 198、何年でしたっけ、1984年ぐらいでしたっけ
A: 1984、5ぐらいですね。
佐々木: 京都大学の方なんですね、その時の方なんですか?
A: そうです
佐々木: どうもありがとうございます、じゃ今日は京都から?
A: ええ、関西の方から
佐々木: どうもありがとうございます。
A: ですから、なんと言うか、今日みたいな上映会も、場が設定されていてすごいと思うんですよね、ビデオで一人で一回性のものとして観るんじゃなくて、一人一人思いの違うものを持ったもの同士が集まって、作者と出演者と観客が集まって、作品があって、同じ空間を共有できるというのは凄い体験だなと思って、今日は絶対外せないなと思っていたんですけど  も。ちょっと長くなるんですけど、今日一番に朝来たら、ホームページでこの上映会を宣伝されているホームページがありまして、そこに書き込みがあって、あの券は買ったんだけど高校生の男の子で、大阪に住んでる子で、交通手段のお金が残ってないと、で  自転車で行きたいと……
(笑い)
A: で今日来てらっしゃいましてですね、水曜日に出発して、アキラ少年って言う子なんですけど、で自転車で水曜日から掛かってここまで来たという……
佐々木: 観たいですよ顔、どなたでしょうか?
司会: 立っていただけます、よろしければ。
A: はにかみ屋さんだから。
司会: 手を上げていただいても、あ、こちら、まん中に、
佐々木: どうもありがとうございます、ほんとう頭下げます。ありがとうございます。
A: 作中の人物がそのまま現れたような気がしたもので、そういった意味で場所っていうのはすごい大事だと思うんですけど、DVDみたいなカタチで残すのは利便性はありますけれど、そういった面では佐々木さんどうお考えですか。
佐々木: はい、えー「四季ユートピアノ」一回出たんですよね、1万5千円ぐらいして、びっくりしちゃったんですけど、それ以来カセット嫌になっちゃってですね、いろいろ話も来たんだけど、『僕の作品は著作権が高い、有名な音楽家の使ってるから払えるか』なんて脅かして追い払った経験ありますけど。でDVDやカセットにしたいって考えも全然無くてですね、いやホントに無いんですよ。多分そういう考えが無いっていうのは、御名前なんて仰る  んですか……木本さんの仰る通りなんです。 ただDVDは性能がいいので沢山の方に観ていただく為には、沢山って言ちゃいけないな、えーと僕は1億分の1だと思うんですよね、私の作品ていうのは、だから日本じゅうで1万人観てくれればいいっていうような考え方なんですよ、まあ偉そうな事言うといけないんだけど、そうやって残っていくなかなって思ってるんですよ作品ってのは、文学もそうかもわからない、で、だからあんまり残したくないと思ってます。そういう答えでいいでしょうか。
A(木本): ありがとうございます。
司会: 他にご質問の方は。
B: えーと、今日ここに来てる方は、佐々木派と中尾派が多分居るともうんでうけど、私はまぎれもなく中尾派でして、中尾さん派でして、85,6年ぐらいでしたか寺山修司さんの朗読を始めて聞いたときは、これはすごいっていうか、なんか体に電流が走ったような思いでそれ以来中尾さんのあれなんですけども、あの今日2作品上映してあれが最初の作品、御二人の最初の作品と次の作品ですよね、で、声の使い方が全然違って来ていると思うんですよ、で、あの質問二つあるんですけども、1つ目は、あのこの人声はすごいって佐々木さんが思われたのか、それとも私の声ってちょっとすごいかも中尾さんの方が思われてああいうカタチになったのかっていうのが1とつ目です、で、2つ目は、ホントに素晴らしい声の表現力お持ちだと思うんですけれど、これから中尾さんどのような活動をされていこうと考えてらっしゃるか、どうゆう表現をしていこうと考えってらっしゃるか。っていうことが質問です。よろしく御願いします。
中尾: あの、声を、すごいなって自分自身思ったのはラジオドラマの放送後の反響のものすごさを、御手紙沢山いただいたんですね。その時に始めて、あれ、ひょっとしたら私の声ってすごいのっていう……
(笑い)
中尾: あの、始めてそこで思いました。
B: 寺山さん、の……
中尾: そうです、寺山さんの……、で、そういう事でして。これからは、なんでしょうね、あの細々と朗読活動を、あの毎年たとえば同じ場所で、というと、福島県のいわき市に小さな美術館がありまして、そちらの方で夏にあったりするんですけど、そういうような小さな活動を続けていきたいと思ってます。あ、それからですねプラネタリュウムの番組なども1年に1作ぐらいはございまして……
B: ベネッセの、あそこのでやってるやつですよね、聞きに、観に行きました。
中尾: ありがとうございます。
B: ありがとうございました。細々とと仰らずに大々的に○○○
中尾: ありがとうございます。
司会: では次の方どうぞ、後ろの方…
C: 僕は逆にDVDにして欲しいんですけれど、というのは、えー今日ビデオで上映され  てますよね、フィルムじゃないですよね、今日。
司会: 今日はビデオでの上映となりました。
C: ですよね、もしかしてフィルムがあってのわざわざやるわけだからテレシネ前のものが観られるのかなって淡い期待も持って来たんですけどもあ。やっぱりパーソナルで観るじゃないですかテレビって、それがこういうところで、あのこれはこれで楽しいんですけれども観るっていうのは、感じがだいぶ違うんですよ、で、僕は最初テレビで観たんで、その感覚、その1対1みたいな感じっていうのをすごく大事にしたいんで、もう一回観るチャンスがあればDVDでもビデオでも何でもいいんですけど、こう、そういう対峙のしかたをしたいなというふうに思うんですが、どうでしょうか?
佐々木: 僕ですねこれ。
C: はい、佐々木さんです。
佐々木: えーと、実はですねDVDにしたいっていう人が今日みえたんですけど、あの進めてもらおうと思うんですけど。
(拍手)
佐々木: っていう答えでいいでしょうか。
C: 結構です
佐々木: あの、そうしたら買ってあげてください。
C: はい
(笑い)
司会: では、次の方どなたか
D: 今日はとてもワクワクして、ちょっと遠い所から来ました、佐々木さんに質問です、よろしく御願いいたします、私は「夢の島少女」と「ユートピアノ」と「バイオリンの音」の3つしか観たことがないんですが、もう10何年前子供の頃にたぶんしょうがけんも観ていたんだろうなっていう記憶があるんです、で、その佐々木さんの3つの作品にとても音楽、なにかこう一貫性というか、私映像のことはわからないんですけれども、音楽のこともわからないんですが、なんか音楽で繋がっていく、で日本の前衛の作曲家のは池辺さんのだけでしたよね、で、も、お使いになってて、そういう作曲家の方は使われずに、あの古典の、バロックですとか、古典の音楽を使われている、その音楽と佐々木さんの作品の関係、どうのような考えをお持ちか聞かせていただきたいんですけど、よろしく御願いします。
佐々木: あの、音楽と映像というふうな事をいつも考えてやってるんですよね、音と映像って言ってもいいんですけど。で、名曲、あるものを使いたいのは、誰でも知ってるってのは、どっかで聞いたことのある作品強いと思うので、で、選ぶ、選んでるんじゃないかなって思うんですね。 もう一つは、ええと、あまり大きな声で言えないんですけど予算がない番組ばっかりやってたんで、もう作曲家とオーケストレーション、オーケストラは雇うお金なくなっちゃうんですね最後に。で、最後は選曲とか、口笛ふいてもらったり、効果、音響効果マンに、マザーって作品は小田さんって人がウクレレ弾いて口笛ふいてるんですけれど、次もそうで、次は選曲か、でパッヘルベルのカノンもまあ池辺さんのアレンジで口笛がこう流れてますよね、岩崎さんって音響効果マンの口笛なんですよ、で「紅い花」っていうんで、あれも音楽があれだったので、僕がギター弾いたのかな1箇所。で岩崎さんが口笛ふいたりして、岩崎さんはですねまた2回ぐらい口笛ふかされたんですね僕に。「夏のアルバム」ってテーマ音楽から演奏してるんですよ。ということで音楽は切り離せないので、先に音楽があったりするんです、ちょっと邪道かもわかんないけど、頻繁にそういう事が僕には起こってくるので、台本に行きづまると音楽の事考えたり。で、台本は書いていくときシリトリみたいな事なんですよ僕の場合はね。で、シリトリがうまく行かないと1行目がうまくかけないですけど、書けていくとどんどんシリトリみたいになって、困ると音を、SEなんて書くと書けていくんですね、それから中尾さんの声が聞こえてきたりすると具体的ですからね、ああそうだ、書いていけるんですけど、そんな事なんですが。 あと1つは、音楽は、子供の時にウチに電蓄がありましてですね、もうお腹の中に居る時から聞いていたのかもわかんないですけど、それも母親死んじゃったんで聞いてみてないですが、その影響もあると思います。
D: ありがとうございました
司会: えー、他の方で。
E: NHKっていう組織に守られて番組を作っていかれていくなかで、その視聴者の反応につ  いてどういうふうに捉えておられたのかなっていう事を御伺いしたいんですが、特にあの印象に残っているのは、先程のお話にも出た東京についての番組を「東京……」撮られたときに、作られたときに、私あれとても好きだったんですが、翌日の朝刊のテレビ欄の下の投書のところに「とてもわかりずらいし、東京はこんなにキレイなところじゃない」っていう反応を書いておられる方がいて、ああいろんな見方があるんだなって思ったんですが。そういう視聴者の受け取り方について、特に放送局ってところに居られて映画を作ってる人とは違う苦労ですとかあったんじゃないかと思うんですが。
佐々木: えー、すごい難しい質問だけど、何て答えようかな。あの視聴率ってのがあるんですけど、営業する側は100パーセントたとえば視聴率があったとしたら120とれっていう、際限無いんですよね、一方にそういうのがあって。僕の場合は経営者が、まあプロディューサーが視聴率をそんなにとらなくてもいいぞっていう方針を立ててくれたのがラクだったですね、それが定番になっちゃうくらい、まあいいもん作ればいいっていう、まあそれでもやっぱり取れないと気にしたりしてね。視聴率とってみせるぞって言った事はないですね。それから「東京オンザシティ」の時はどうだったかな、今そういう投書が出たの知りませんでしたけど、あんまり読まないからですね新聞。えーとあれはNHK特集で放送して視聴率良くなかったと思いますけど、普通のN特が10パーセントとったとしたら5ぐらい、半分、半分よりちょっといったかな、で、えー、視聴率の問題はですね、最後の作品「8月の叫び」って作ったんですよ、まあ出来、不出来は、好みもあるけれど、ぜんぜん話題にならなかったけど、110分版と90分版2本作ったんですよ、で90出した時に7か6かすごく悪かったんですよね、8時台で出しちゃったんで。  
それで110分版はまあディレクターズカットなんですけど宿題として残しておいたんですよ、で僕はNHK辞めたんですけど、翌年、すごいデータを調べたなと思ったんですけど、中村さんっていうドラマの部長がいてですね、手紙くれたんですよね、ある日、5分おき、2分おき、3分おきのレイティングを調べたと厳密に、でその裏も何ヶ月か調べたと。で、夜中の1時に放送だったと思うんですけど、それで答えはですね500万の人が始めから終わりまで絶対スイッチを切られないって答えが出たっていう、そういうデータ送ってくれたんですよ、それで佐々木さんが居るうちにこうゆう答えを分析しておくべきだった、今こそ、そうゆう作品が大事だって手紙くれたの覚えてますよ。  
だから、まあ数じゃないなって、ちょっと負け惜しみですけど、数でくるんなら質だってような感じかな、深さと。ちょっと営業マンみたいな話しですみません、営業マン居たら殴られそうなんですけど。
E: ありがとうございました
司会: ご質問のある方は
F: すいません、あの、私はあの「四季ユートピアノ」もリアルタイムで観てきたんですけども、当時あの、宣伝文句、NHKの宣伝文句で、これはあのドキュメンタリー風のドラマなんだという宣伝があったんですけど、当時としては新しかったわけですけど、あのドキュメンタリーっていうのは記録する事が目的だと思うんですよ、で、あのドラマっていうのは表現を手段として使って、その先に目的があると思うんですけれど、あのこういったドキュメンタリータッチのドラマって言っていいと思うんですけども、そういうところの、あの目的というか、表現することへの、ちょっと難しい質問かもしれないんですけど、目的っていうのはどういったところに置かれてるんでしょう。これ佐々木さんと中尾さんお二方に御伺いしたいんですけど。
佐々木: まあ、演出の立場から言うと、カラー出さなきゃいけないですよね私自身の、出さなきゃ作品にならないし。で、あの方法しかないってやってるんですけど、ドキュメンタリーとドラマってのはあんまり意識しないでですね、やはり作品つくるんだって事で、境界線はあんまり意識しないで作ったと思いますね。それから台本もあるど、その通りいかないですから変えたりして、是枝さんと同じということになっていくと思うんですけど、彼の場合全然違った方向でやってると思うんですけどね、是枝さんは是枝さんのカラーでやってると思うけど、僕は僕のカラーがあって、ドキュメンタリーっていう事はあんまり意識しないですね、ていうのはそこにいる俳優、中尾さん俳優扱いしてやってる、撮ってるわけですね僕は、で撮ってるってカメラマンが撮るんですけど、演出してるわけだけど、だから記録性って事からいくと、中尾さんを結果的に記録したって事だと思うんですけど、ちょっと理屈っぽくてすみません。
F: わかりました、中尾さんの方は表現する目的とか目標っていうのは何かお持ちなんでしょうか、心情的なものとか
中尾: あの、あくまで作品の中で出演者という立場ですので、あの自分の演技がどれだけ、その、この作品の上に貢献できるのかっていうのは、ディレクターの指示演出があって始め  て、それが輝くかどうかっていうのがありますので、佐々木さんがそういう演出をされる、そういう方法として持っている、既成の俳優さんというのは型にはまっていて嫌だと仰る、そういう事について私はそれを理解し、それを演じるという事で自分の役目を果たしたんだと思います。ですから表現については自己主張といった部分は全く無いで  す。
F: ありがとうございました。
G: 佐々木さんと中尾さん御二方に御伺いしたいんですけど、今日始めて「夢の島少女」を観まして、いや前から観たかったんですけどなかなか観れなくて今日嬉しかったんですけども。音楽なってない場面もあるんですけど、なにかずっと音楽流れているような気が観ていてしたんです。で、演出と演技の方が、なかでなにか、継続っていうかな、作品のなかで繋がってたものが、何かあったからそうなったのかなっと思ったんですけど、何か作ってる間に、筋書きとか、将来の、なにかバックグラウンドで起こった事とかいうのが、そういうインプットがあったのかもしれませんけど、それは観ている方にはわからないんですが、なにか、その作品の中でずっとながれて、一貫性って言うんですか、英語でいうコンシスタンシイって言うんですかね、パンとか練るときの強さってあるじゃないですか、それが均質に広がっているみたいな、そういう感じを観てて感じたんですが、作っている方では、演じる方と演出の方でなにか、同じものっていうか、繋がるものはあったんでしょうか、繋がるっていうかその時間の中で続いているものがあったんでしょうか、すごく曖昧な感じですみませんが、それを質問したいんですが、御二方に……
(笑い)
佐々木: カメラマンの葛城君の音楽性が良く出てると思うんですけど僕はね、彼に喋らせた方が面白いと思うんですけど、どうでしたかって。僕の記憶ではですね、テーマ音楽決まってないまま撮影に入ったんですけど、途中でね思いついたんですよカノンって曲を、それでパイアールかなんか、誰だったかなパイアールじゃない、もうちょっとゆったりしたカノンの薄いオーケストラのメロディを葛城さんに聞いてもらったんですよ。で、それを頭に叩き込んで撮影したって彼が後で言ってました。あの、映画テレビ撮影者協会から出してるですね、今でも月刊誌になってると思けど、それに論文書いてましたよ彼が、音楽を聞きながら撮影したっての、彼がそういう音楽性を持っていたから、ああいう映像に撮ったんだと思いますけど、中尾さんの方は聞いたことないので答えてもらいましょう。
G: ありがとうございます。
中尾: そう、……ちょっと時間をください、
(笑い)
中尾: カメラマンの方と佐々木さんのあいだの、今仰られたような感じで、あと私は、あるとしたら、なんか不明、不明瞭な答えになってしまうんですけれど、佐々木さんがなにか作りたいという方向と。自分の、何の為に生きてきたか、何の為に生かされているかっていういう方向が、ずっと響いてるっていうんでしょうか。○○じゃないですけど、「ユートピアノ」を作るときも、私最初の時に、あの佐々木さんに今度も作れることになったって話していただいた時に、それよりも前に長い、いろいろな事があって、そこに至るわけなんですけど、私はこの作品で自分が生かされた事へ対する感謝の気持ちを表そうと思ったんです、そういう事は根底にずっとそうなんです、最初からそうなんです、佐々木さんの作ろうとしている中のそういう部分と、苦労してる部分とずっと響いてたのかもって気もします、難しいです。
G: ありがとうございます。
H: えーと、先程から音についての質問が沢山出ていて、僕も音について若干質問させて  もらって、質問させていただくんですけど、質問がブックキンしてしまって申しわけないんですが、「夢の島少女」の方は、「夢の島少女」の方はカノンをテーマとして使ってて、でセリフはアフターレコーディングでやってた思うんですが、それに対して「四季ユートピアノ」の方は題材がピアノとかそういうものであったという事もあると思うんですけど、より沢山の曲目を使っていたりして、映像と音をシンクロナイゼーションさせているのが多かったんですが、そういった面で2つの作品の間にかけて佐々木さんが音と映像との関係でなんか考え方が変わったとか、なんかそういう事はないでしょうか。
佐々木: カノンは一貫性があってですね、撮影中思いついたと言う事、全部こう筋を通そうと思ったんですね。で、「四季」は、今思い出してみたら、企画会議でなかなか通過しなかったんですよね、企画、何十冊書いたか判らないけど、最後の時、企画の会議で判らせようと思ってですね、ここにNHKのドラマ関係居ないと思うけど、あのテープレコーダ持ち込んだんですよ僕、で、これで行くんだと、ユージンオルマンディーのバッハの旋律聞かせてね、「主よ人の望みの」、「ジーザズ……」、えー、ようするに「主よ人の望みの喜びを」聞かせて、それからスコットジョプリンの、まだあの頃は「スティング」でちょっと流行ってた頃で、誰も知らなかったんでメロディー聞かせて、そうやって、そこに散りばめた音楽全部使うぞって言ったんですね。で、提案、企画を通せって事で粘った記憶があるんですけど、どうもその時何十回も聞いたんですよメロディーを、あのマーラーのやつね、で、もうがんじがらめに、自己呪縛っていうのかな、縄で縛っちゃったような感じで使ったんだと思いますけど、それがホントの事なんですけど、だから音楽がちょっと分散しすぎてるかもわからないですね。
H: 「夢の島少女」の方はアフターレコーディングでセリフをやっているっていうのは技  術的な問題でしょうか
佐々木: アフレコは無いですけど、一部分やってるかな、無いと思いますけど、全部同時録音で、「四季」も全部同時録音でナレーションだけアフレコですけど。割合ねその場の音にこだわっちゃってですね、ミキサーに嫌われたりしまして、やっぱりその場の音っていうのは、えー、アフレコでは絶対出て来ないようなプラスアルファがあるので、たとえカスレていてもですね、当時はですよ。今はどうかわかんないけど、今はアフレコしちゃうだろうね僕だって。まあ音は、その録れた音って事に非常にこだわってた時期だったと思いますけど。
H: ありがとうございます。
佐々木: どうもありがとうございます。
I: えー、京都から来ました、ちょっと関西弁が出るかもしれないんでカッコ悪いですけども、ちょっとあの、今、音楽の事、みなさん、聞かれてたんですけども、もちろんパッヘルベルもバッハも重要だと思うんですけども、佐々木監督の作品におきましてはですね「マ  ザー」におけるビートルズの「ヘルプ」と「ユーガットハイヴェルラブアウェイ」の今の言葉で言えばサンプリングって言えるような、ほんとの一瞬の挿入ですよね。とか「夢の島少女」でしたら現代音楽、なんと言うかサウンドコラージュ風の現代音楽的なサウンド、音の配置とか、ピアノの練習曲、あるいは「望郷」って歌の使われ方とか、「四季ユートピアノ」でしたらマーラーの4番の歌を変え歌するとか、あるいはピアノの、えーと幼い兄弟がピアノを、学校の教室のピアノで、が燃え出して、蓋を閉めるときのあのトーンクラスターのような、ピアノの蓋の譜面台立てがキーを押す音、そういうところを僕はすごく斬新で素晴らしいと思うんですけど。で、その事を質問するっていう事でもないんですけども、僕がもともと言いたかった事の1つ2つちょっと言わさせて、簡潔に言わさせていただくとですね、えー、佐々木監督はあの本の中で誰かがトリフォーの多分「華氏451度」でしたっけ、と似ているとか言ったっていう話を書いておれれまして、僕は別に影響関係が有るとかってそういう事はくだらないと思うんですけど、佐々木監督作品における世界的な同時性っていうのは、最近映画史とか流行ってますけれども、佐々木監督自身の作品がもう映画史そのものではないかと思ったりするんですよね、こういう僕の感想につきましては答えていただかなくてもいいんですけど、最後にちょっと具体的で細かい事なんですけども、特に「夢の島少女」のバージョン違いがありますよね、僕は86年に、すみません96年に始めて観た時のとき、この前アーカイブスで放映されたのとバージョンが決定的に違いますよね、最後の最終の場面ですよね、その事についてはお聞きしたいんですけど。
佐々木: はるばる京都から、ありがとうございます。「夢の島少女」の現代音楽風なコン  クリ、コラージュっていう話しは岩崎さんっていう、ここに居るんですけど、今日来て  くれたんですよ、佐々木さんがどんな話しするかそれだけをに出ていくって、あそこに  居るんで後で聞いてくださいますか、
(笑い)
佐々木: 岩崎さん立ってくださいますか
(拍手)
佐々木: 岩崎進さんです、僕と「夢の島少女」「赤い花」何本作りましたっけ、4、5本作りましたけど。でバージョンおんなじなんですけど、最後タイトルロールがですね、ものすごく早くて読めないって苦情が出たんで変えてもらったんです、早く絵をフェードアウトして出演者の名前ゆっくり見せるっていう、だからそこが違ってるんだと思いますけど。
I: でも、あの、カメラ、が、えーと、ケンにおぶさっている中尾さんを迎えるところを後ろ、多分背後から撮ったシーンで終わるバージョンと、今日観られたのは、この前の、今年のNHKアーカイブスの放映と同じだと思うんですけれども、こう、えーと、多分ヘリコプターがぐーっと廻って、一旦前面、前に行ってからもう1回後ろに廻って終わるっていうのと、かなり作品としての印象が違うと思うんですよ、すみません細かい事
佐々木: えーと、気が付かなかったな……
(笑い)
佐々木: 誰か変えたのかもわかんないですね、ネガ。
(笑い)
佐々木: 多分ですね、あれ、あの、パイロットの名前覚えてるんですけど、ウネモトさんっていう人なんですけど、低空飛行をやるときにダメ、絶対ダメだって言ったんですよね、で中尾さんとケンちゃん連れていって見せたんですよ、この子達を撮りたいんだって言ったら、顔見てですね、素晴らしいって言って、やって見せると、その代わり木が飛んだりするから危ないですよって、で僕は行かなかったんですよ、現場なんか行ったら写っちゃいますから。
(笑い)
佐々木: で、カメラマンの葛城さんだけが乗って、でもう、ヘリの撮影っていうのはですねカメラマンの腕じゃないんだってね、もうパイロットで決っちゃうって言うんですよ、だから一旦後ろから追っかけてね、ずーっとこう廻ってそれからっていうのは彼が設計したんで、今日居ればいいんですけどね、居ませんので、聞いておきますよ、で、ご返事します必ず、あとで名前をください。
I: どうも、ありがとうございました。
司会: お時間的に、あと5分ぐらいなんですが、ぜひ、えー、難しいですね、佐々木さんに選んでいただけますか?
(笑い)
佐々木: 真正面の彼、どうぞ。
J: えーと私は、この間の5月のアーカイブスで始めて観てしまったんですけれども、たまたまテレビをつけてて最後まで切らずに観てしまってですね、みなさんようにディープ佐々木派でもなければ中尾派でもなく、プチ中尾派ぐらいなんですけれども。
(笑い)
J: 今日の観てて思ったんですけれども、最初に「夢の島」から始まって「四季」、ずーっと3時間程、私ずーっと緊張感が全然切れなかったんですよ、ずーっと張り詰めたままで、しかも観ててすごく素敵であるにもかかわらず胸がちょっとキリキリする感じ、ちょっと締め付けられる感じだったんですよ。で、御三方に聞きたいんですけども、監督と佐々木さんに関しては、自分が、その映像を作ってそれをお客様に、視聴者に提示する際に、その、観てる側に与える緊張感っていうのは考えながら作られたのと、作ってますか。それと、中尾さんに関しては自分のやってる演技が、その受け手の方にどういう緊張をさせてるのか、もしくはそれを持続させるようにしているのか、そういうような事を考えながら演技されてるのかっていうことを教えていただければ。
佐々木: じゃあ僕から話しますと、あの意識の切れ目が無いように努力してるんですよね、私自身の意識の切れ目がないかどうかっていうのを、映像をこう早送りしてみたり、逆から観たりして試しますけど、最後は、最後は映像だけこうサイレントで観てですね、それから逆回転でこう観て行くと非常に判りやすいんですね、逆回転で観て、それから音を付けて観て、それから音だけ聞いてっていうような、そういう、なんて言うんでしょうかね、検査はやりますけど。だから仰る通り緊張感は押し付けないんだけど、僕の意識の切れ目があったら観てる人もダメだろうと思って、そういう作り方に徹してますけど。
J: 私がきれなかったのは、まさにしてやったりと。
佐々木: いやいや、ありがとうございます、ですね。
(笑い)
佐々木: あの、そこまで共感していただいて、ありがとうございます。
中尾: えーと、そうですね、佐々木さんはその緊張感とかそういうものが前面に出る演技に、あまり良いというふうに評価はなさってませんでした。ことごとくそういう事を意識しないでやってます。で緊張感と言う事ですし、するとすれば、今朗読なんかをやっていてそういう場を作るって言う事は意識的にやっていますけれど、あの演技、っていうか、あの中では、無いですね。
佐々木: 僕なんか、中尾さんに緊張してもらったら困るね、僕だけの緊張です、最後に○○、それから撮影してる時に、言いませんけどカメラマンにも。
中尾: 緊張してないんじゃなくて。すごく集中してるんです
佐々木: まだ時間ある、あ、是枝さん
是枝: 自分がテレビを作るときには、やはりその、ある時間の間同じ緊張感で、どうアタマから終わりまで行けるかって、自分で作るときには考えてます。で、佐々木さんのものを観た時感じるのは、緊張感っていうのとはちょっと違うんですけど、やはりその佐々木さんの作品の中にだけ流れている時間っていうのは、その前後に放送される番組とは全く違う時間が流れるんですよね、その時間の構築の仕方というのはいつも感じます、佐々木さんの作品、それが作り手の1人としては非常に、あの、それがどれくらい難しい事かというのが判っている分、感動します。
司会: よろしいでしょうか、えーと、では次の質問で最後の質問とさせていただきたいんですが、じゃあまた佐々木さんに、じゃあ中尾さんに最後、ご指名いただけますか?
中尾: じゃあ、じゃんけんしてもらえますか……あ、あのどなたかご指名しました。
司会:
佐々木: あのジーンズの、ずーっと手を上げて
司会: あ、そうですか、すみませんでした、他の方申し訳ございません
K: えーと、あの佐々木さんに聞きたいんですけど、あの実はこの映画を観たのが今始めてで、兄が横にいるんですけど誘われてきて、観て、作品観ていたんですけど、で、どういう印象を受けたかって言うと、なんか最初ガラスみたいだなって思って、どういう事かっていうと、あの、栄子さんが音叉をバーンって叩きますよね、その感じがなんか、あんなに強く叩いていいのかなって一瞬思うじゃないですか、だけど鳴る音はすごいキレイで、ガラスとかって割れるときすごいキレイじゃないですか、逆に考えるとなんか一番キレイな瞬間に壊れてしまうって感じがしてて、それでカノンってありますよね、そういうのは一回一回単純な旋律が繰り返えされてて、そういう作っては壊れ、作っては壊れって繰り返して、そういう不思議な繋がりがあって、そういうシーンの繋がりとかがあったりして、それで、さっき佐々木さんが一部の人にだけ、あれ一億人の一、一億分の一だけって言いましたよね、それがなんか、そういう単純な繰り返しっていうのが、何て言うか、その、何年経っても、そういう、例えば、今の人にそういうのがウケても、百年先はウケるかどうか判らないっていう、だから生き物とかってそういう感じがありますよね、たとえば昔栄えても、その進化の場から失っちゃうっていうところみたいな、だから作品もそういう傾向があると思うんですよ、だから、そういうのを狙ってわざわざ単純な旋律を繰り返すような、衝撃をバーンって与えて、戻してっていうような、引き戻す駆け引きみたいなのを、そういう感じで思いついたんでしょうかね。ちょっと、あんまり曖昧で良くわかんないような感じなんですけど。
佐々木: 「四季」の音叉ですか?
K: あ、音叉の事とか、あと「四季」の見せ方自体が音叉みたいに、バーンって来て余韻があって、バーンって来て余韻があって、てありますよね、ショック度が伝わって来て、バッて上がってまた下がってみたいな、そういうのはワザとそういう、幅が出るようになったって……
佐々木: ああ、「四季」のあれ、途中の音楽ですか。
K: 「夢の島少女」の事もそうなんですけど
佐々木: 音が上がってくる
K: 音とか、そういう見せ方自体も……テンションが……
佐々木: ふうん……あんまりそこは意識して作ってないんだと思いますけど、あの観た人の方がよっぽど偉いと思うんですよね。いや、本当にそう思いますよ。で、音叉は、あの普通の音叉じゃ録音とれないのでシンセサイザの音なんですよね、織田さんが入れてるんですけど、それから「夢の島」の音がワーっと高まっていくようなのは、やっぱりさっき紹介した岩崎さんの感情の高まりだと思うんで、そこはもう僕はコントロールできないですよね、あの、完全に。だから、そういう、こうそれぞれの力がですね、スタッフって言うのかな、ちゃんと出たところは生き物としていいと思うんですけど。
K: ああ、じゃあ幾つかのそういうファクターを放り込んでおいて、どう出るかは後はまかせる、そんな感じですかね。
佐々木: えー、そんな事も考えて無いんですけども
(笑い)
佐々木: 作ってる時夢中だから、いちにのさんで音を走らせて行くわけですよね、映像が走ってくわけで、今みたいにとめ、とめ、とめ、なんていうのは、それでやんないですから、そうするともうね人の事なんかかまっちゃいられないうように話すようになる、音がした、バーンってテープ流してウワーですよね、もう走った競馬馬みたいなもんで、ここでちょっと空いちゃった、だけどOKっていうんでやったんだと思いますね、岩崎さんに聞いてくれますか、後で廊下で。
(笑い)
佐々木: 多分そうだと思いますよ
司会: よろしいでしょうか。ありがとうございました。いっぱい質問あったようですが、
佐々木: 中尾さんに何かご質問ないでしょうか。
司会: 中尾さんに質問の方いらっしゃったみたいなんで、ええ、じゃあ、中尾さんにですか?じゃあ中尾さんへの質問と言う事であと1つだけお受けします。じゃあそちらの方で、マイクまわしてくれますか。
L: どうも始めまして、広島から来たツボハラと言います、中尾さんは高校生の頃東京キッドブラザースで東由多加さんのユートピア思想に惹かれたと仰いましたが、え、その後女優の道を一時期専念されて、今は朗読の仕事をされているという事なんですが。女  優の仕事を続けられなかったっていう一番の理由というのは何なんでしょう?
中尾: はい、広島から……
(笑い)
中尾: あの、もともと演劇が好きでした。ですけれども、あの女優っていうお仕事が果たして自分に合ってるかなって考えた時に、佐々木さんの作品に出演する事は、女優として出演するカタチではなく、私であり、栄子でありっていう、その先程の非常に微妙な部分を、もろに生かせるという面白い作品です。それに興味を持って作品に、製作に参加するというカタチで、そのあと女優さんという道は、多分佐々木さんの耳にはある程度そういう事もあっかもしれませんけれども、私は、考えなかったんですね。あの、大学を出て、まあ、すぐに就職をしましたので、その路線でずっとやってます。女優さんもとても素晴らしい職業だと私は思ってます、ただ今回はそうじゃない職業を選んだという事です。
L: どうもありがとうございました。ぜひ広島にも朗読に来て下さい。
(笑い)
(拍手)
司会: おそらく質問は尽きない事と思いますので、御時間が終わりまして本当に申し訳無く思います。えー最後に、では御三方、是枝さんの方から御一人づつ、今日の感想と言いますか、何か、佐々木さん、中尾さんに対してのメッセージでも結構ですので。
是枝: はい
司会: お願いします
是枝: つたない司会で失礼しました、ただこういう場所でこういう催しが行われるというのが、とても素晴らしい事だと思います、で是非、来年でも、再来年でもかまわないので「川」三部作をまたやっていただけるような
司会: 是非
(拍手)
是枝: 佐々木さんも中尾さんも、作品というカタチかどうか、映像作品というカタチかどうかわからないですけども、あの、モノを作るという事にずっと関わって、いかれてる姿、を、1ファンとして、えー拝見させて、いただき、続けたいなと、思っています。あの、多分僕の世代、世代に限らずですけど、佐々木さんと中尾さんの作品を観て映像を志そうとした作り手というのが、かなり居るんですよね、あの、もちろんそういう若い次の世代の作り手の中に残っていく佐々木作品というのも、それも佐々木さんのカタチだと思いますし、もしこれから、映像を作られるという事であれば、あの、本当にそれを期待して待ちたいな、とも思っております。ありがとうございました。
(拍手)
司会: ありがとうございます。それでは佐々木さんに、御二方へのメッセージもお願いします。
佐々木: はい、もうホントに、月並みなんですけど、ありがとうございます。えー、何回も繰り返して、今日集まっていただいて、こんなにいい会だと思いませんでした。是枝さんに感謝します、ありがとうございます、中尾さんもありがとうございます。あの、京都で大上映会をやっていただいたとき、僕は、あの、こう、僕一人だったんで、話しがうまくいかなかったんですね。で今日は自然な形で、僕は話しベタなんですけど、話す事が出来て大変幸せにアイムベリーハッピー。
(笑い)
(拍手)
佐々木: エクストリーミーハッピーだな。で、こんな英語が出てくるのもですね日本では珍しいんですけど、僕外国行くとですね人間変わっちゃうんですけどね、英語、知らない言葉を操るんで、演奏家みたいになってですね、どんどん躍動していくらしいんですけど。日本語はわかりすぎてるんで、だんだん内にこもって行っちゃったりして、うまくいかないんです。で、作る事、作れっていう命令だと思いますけど、大変な責任があるので作りたいと思いますけどね、いろんなところの場を探して、売り込んだりして、まだね何も考えてないんですよ、ほんとに、6年間、責任重大で、遊んで、怠けてましたんで、何かやりますので、もの書きますからそれまず読んでいただきたいと思います、売れるかどうかわかりませんけれど。
(拍手)
佐々木: で、宣言すると本書けなくなっちゃうんで、言わないんですけど。本はほんと難しいですね、小説とか、そのフィクションだとか、この掌の石川啄木の心境ですよね、じっと見て、その掌のゴミを書いていくような、全く別世界だったいうの判ったんですよ小説の世界、だけども編集者が小説なんていうスタイル全然気にしてなくて、佐々木流でいいからって言うんで、気が向いたらまた一気に書こうと思ってます。テレビマンユニオンの皆さんもやれやれと言っているので、あんまりやれやれって言われてやらないと、もう見捨てられてちゃうので、それは書きます、「日光写真少年」って名前付けたんですよ、で僕が子供の頃ですね、日光写真っていうのをやっても写んないんですよね、疎開先で。疎開先で母親に会いたくて、オフクロを写してみようなんて思いながら、いつの間にかそれがフィルターの掛かったストーリィになって出てきたので、それを書いてみようと思います、えー、売れないと思いますけど。それから考えようかな、で70歳にもそういうトロトロしているうちになっちゃうんで、そのまま死ぬのかななんて思ってるんですけど。いや、ホントの話し、つげ義春と会ったときそういう事言ってましたんで。で、でも責任があるので、作品を発表した以上は大真面目な話しで、後輩もいるしですね、是枝さんもいるし、中尾さんもいるし、皆さんもいるしですね、映像でなんか作品必ず作るっていうのを、いつかわかんないけど、お約束しますので、是非待っていてください。今日はほんとにありがとうございました。
(拍手)
司会: ありがとうございました。それでは最後に中尾幸世さんの方からお願いいたします。
中尾: ほんとうにありがとうございました、今日お会いできた事を、ずっと、ずっと、覚  えています、ほんとうにありがとうございました。
(拍手)
司会: 最後にですね、この日の記念に御写真を撮りたいという方も多くいらっしゃるのではないかと思いますので、えー、そのように告知していなかったのでカメラをお持ちにならなかった方には申し訳無いんですが、もしお持ちの方で御撮りになりたいという方は、佐々木さん今よろしいですか、そのような時間いただいて。はい、今から少しだけ撮影タイムという事で、記念写真をみなさんどうぞ。
(笑い)
司会: それから、もし佐々木さんにサインをいただきたいという方で、先ほどもいらっしゃったんですが、何かお持ちいただいて、受け付け付近の方でお待ちいただければと思います。
司会: 本日はありがとうございました。
(終了)


ガンテさんにテキスト化していただきました、ありがとうございました。



Last update      2006.6.20